Rin_Mikageのブログ

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ネット怪談 百物語 シーズン5 誤十夜感想

今回は2021年2月13日に配信された、『ネット怪談百物語』誤十夜の感想です。ネタバレあり。

注意。

Twitterから転記)

感想。話者:OHTSUGA(断首台卍)

断首台卍はシーズン1の登場人物ですが、シーズン1で殺傷事件を起こし逮捕されていました。裁判の末、薬物中毒の治療のために入院していました。

 

しかし、そこで行われていたのは薬物中毒のための治療ではなく、人間の人格を改造する人体実験でした。断首台卍はそこで「OHTSUGA」として生活することになります。主治医が東笑寓(とうしょうぐう)であることも明かされました。(匂わせは前の話でされていたが、今回で死蟲男が明かしています。)

 

今回は今まで明かされていなかった断首台卍が蝋燭部屋にいなかった時の話でした。

生い立ち、家族構成、薬物中毒、シーズン1の死夜の話、その後、逮捕されるまでを取り調べや裁判で沢山話してきたとのこと。

そんな彼が拘置所にいたときに、こんな夢を見たそうな。

『セーラー服を着た顔色の悪い少女(mi_shi ?)と動物園に行き、動物をぼーっと見ている。少女が泣いていることに気付いて自分はそっぽを向いた。少女は相変わらず暗いことを言うが、僕は優しく傾聴する。すると少女は僕の足に卍が彫られていることに気付く。』

 

卍(まんじ)。それはサンスクリット語で”吉祥”を意味する言葉。長年良い意味で使われていたのに、ナチスドイツの影響により、今日は悪い印象がついている。本質は変わらないのに。人間がつけてしまった勝手な印象により意味が変化してしまうことに対抗するため、彼は自分の足にその文字を彫ったのでした。

 

この「卍」に関する説明が「クロア」の正体、その信条に大きく影響を及ぼす。

 

「クロア」の正体はドロフォノスと網捨(もうしゃ)だった。彼らは明らかに重罪かつ取り返しのつかないことをした犯罪者が現行の法律で軽い判決などを受け、また社会に戻っていくことを懸念していた。そのため、犯罪者を粛正していくことにした。その際、四十死夜で扱われた予言ツイートを使うことにより、世間の目やネット民の関心を引きマスコミに取り上げられ、粛正対象は怯える。そんな構図が出来上がった。

 

個人的な感想。

私は断首台卍とOHTSUGAの2役の三好大貴さんのファンです。そういった事情もあり、また個人的な事情で彼の演じた2役と星守紗凪さんが演じたmi_shiさんに共感が持てた。

私は今、適応障害の回復中です。適応障害とは耐え難いストレスが原因でうつ状態になる精神疾患のことです。ストレス源から距離を置き、十分休息した後で適応障害になった要因を探します。そこで見つけた要因への対策をして、適応できる環境に身を置くことがゴールです。社会人であれば転職や配置換えですが、私は学生なので、ゼミを変えるか、学校を変えるか、あるいは今の指導教官の元で学位をとるか、退学する(既卒での就職)という選択肢になります。今のところ未定です。

 

休学する前までは、なんとか学校生活を送っていられました。けれど、

・ストレスがあちらこちらでかかり続けていた

・数年前に起きた衝撃的な出来事での傷が完全に癒えていなかった

・コロナ禍による変化

・夏にメンタルを崩した際に受けた心理検査の結果を咀嚼することに精いっぱいだった

 

と、いくつかの要因が重なって潰れました。11月から休み、1月末には学業以外がほぼできるようになりました。そんな状態で、前のように長考することもできないので「心で感じる」ことに重きを置いて生活していました。演劇鑑賞もその一環で、百物語の視聴もそこに含まれました。

 

断首台卍、mi_shiは百物語のなかで、とてもネガティブなキャラクターです。けれどこれは傷ついたときの自分に似ていました。

mi_shiさんには

・厚く覆われた闇と苦しみ

断首台卍さんには

・狂いたくてもできなかった過去の自分の感情

・自分が自分であることを認めてもらえないまま育った自分

・孤独

が感じられました。そしてOHTSUGAさんには

・今の自分が感じてる恐怖と怯え、

離人症のような自分の苦しみと悲しみ(人格改造の薬の影響で憎しみや悲しみを感じない状態にされているシーン)

が感じられた。

 

これらの感情は、心のキャパオーバーを防ぎ、日常生活を送るために後回しにしてきた抑圧された感情たちでした。これらをシーズン5で沢山感じて、涙がとまらなかったです。カタルシス効果でしょうかね。

 

感情はその場で感じきることが容易なものと、そうでないものがあるように思う。特に怒りはそうなりやすい例だろう。日常生活を送っていると、思うようにいかないこともある。そんな時声を荒げるなどで表現することもあるし、時にそれが許されない状況もある。後者の場合、感じた思いを表現できないのだ。そうなると、心には「怒り」が溜まることになる。人生経験を積むことで、その場で感じきれなかった思いを感じきることができるようになる場合もある。

もしこれが子供だったり、感情を感じきったことのない人だったらどうだろう?表現できない思いが溜まっていってしまうのだ。溜まった想いの一つ一つを意識しながら生活することはできない。そうすると心が壊れてしまうと脳は判断し、「忘れる」のだ。そうして、忘れた感情たちは無意識へ追いやられてしまう。

けれど、日常生活には影も形も分からない程度の小さな影響を及ぼす。小さい頃に犬に吠えられたことを忘れて大人になった人が、犬を見て身体をこわばらせたりするのが例だ。これが日常的にあると、やがて自分の気持ちがわからなくなる。何かを感じていることは体感できるが、それがどんな種類の感情なのかわからない。生きているが、心が死んでいるような心地だ。人格改造されたOHTSUGAさんのように。

 

その点では今回は感じきることができた作品でもある。同時に断首台卍さんが表した感情に共感するお話だった。いつか、二人が再会できますように。そのときは、二人が二人なりの人生を送っているときでありますように。

 

それでは今回はここまで。