Rin_Mikageのブログ

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はじめての繭期 グランギニョル 感想

10/22 20:00からYouTubeにてライブ配信されていた「グランギニョル」の感想です。お供はホワイトホースのハイボール(濃いめ)。すでに片目がやばい。(執筆時点で2021/10/22 23:40)

 

・感想

絶望の展示会場。昨日あった「SPECTER」は生存者が少ない、「ソフィ」の出生、臥萬里の過去の物語。生きている人間の愚かさの品評会でもあり、人間らしさをマイナス方向に傾けた物語ともとれる。

 

美しい残酷劇。pessimist(悲観主義者)からすれば、この物語は希望なのではないかと思う。後述するが、生まれながらにして呪いを持つ存在は、その呪いに日々抗いながら生きている。ネガティブ6割ポジティブ4割で生きている私からすれば、生きているだけで「呪い」は付きまとい、不意に顔を出す存在。時にその呪いに足を取られ、底なし沼に沈むけれど、それを含めて「私」を形作るものだと思えている。(もっともそこに至るまでに年単位で時間がかかった。)

 

だからこそ、ウルの父(以下ウル・シニア)とダリ・デリコが与えたイニシアチブはウルの一部でしかない。ダリがどこまで考えていたかわからないが、いつかはウルが成熟した大人になったら「二人のイニシアチブを自らの意志でコントロールしてほしい」という未来を想定していたのではないかと思う。一応、イニシアチブは【意志の強いほうが勝つ】のだから。そして、意志が強ければヨハネス卿のように抗うことができるのだから。(ただしとんでもなくレア。万が一よりも低い、億が一レベルだとは思う。)

それでも希望を託したかったのではないだろうか。ヨハネス卿ほど長生きすることはなくても春林のようなタイプもいるんだと、ラファエロ経由なりで知る未来を、ダリは描きたかったのではないかと思う。未来のことは誰にもわからないから、その時できる限りの希望をウルに託したのだと思う。

 

 

・呪いについて(主観)

フリーダ様の解説によれば、「私たちは生まれながらにして呪いを背負う存在」であり、「呪いに抗いながら生きている」とされている。

ラファエロは「家督を背負う」呪い 

ダリも含めて「デリコ家を背負う」のも呪いといって差し支えないだろう。

ゲルハルトもまた「フラ家」が呪いだ。

 

「生まれながらにして持つ呪い」持ちの例はソフィ・アンダーソンやウル・デリコだろう。この二人の生きざまは『TRUMP』、『COCOON星ひとつ編』あたりで語られているのでここでは省略。

 

この物語の好きなところは、「みんな呪いを持って生きてるけど、その呪いはみんな一緒だよね!!」って言ってないところ。

 

みんな同じなわけがない。呪いの種類も影響も、みんな同じなはずがない。けれど各々が持つ呪いにそれぞれの形で抗うことには価値があると思える。

特にそれが表れている作品があるので、おすすめ。

 

・おわりに

誰かが他者を憂う心もまた、呪いになってしまいそうだと思う。やりすぎ注意なんだろうな。特にウル・シニア。彼はグランギニョル発動課企画発案実行係なんだろうけれども。グランギニョルを発動させたところで、当の相手はあるものにご執心だし。こういうところが現実に近くてたまらん。

YouTubeライブ配信でのコメント欄では「報連相大事!」と言っている人がいた。私からすれば、必要なのは報連相ではなく相手のことを自分の色眼鏡で決めつけないことではないだろうか。

 

私の日常ではデフォルトだけれど、ついついやりがちだ。(戒め)

このフィルターが強くて困るのが私のdisorderなんだろうな。