Rin_Mikageのブログ

気ままに。思考は自由に。

モリミュOp.4 ネタバレ有り 感想。

《注意書き》10000字あるので、いつでも離脱してくだされ。複数公演あると文字数が増える増える。

 

~公演回ごとの感想~

2/3夜公演 まさか、推しの誕生日前夜だなんて知らなかったよ。。知ってたら翌日に回したよ。。。ウィリアムさん。。。けれど、3階席まで見上げてくださってありがとうございました。目線が合う席で良かったです。双眼鏡越しに目が合うってこんなに心臓に悪かったんですね。そりゃ、オタクがゲル化するわけですよ。。意識飛んでも仕方なしだ。

歌から感じる圧に、あの時代の人たちの生きづらさがのし掛かったような心地でした。スタオベしたかったけれど、できなかったなぁ。闇は晴れるどころか、一層暗さを増していて。本当に苦しいなぁと思いながら帰路に着いた回でした。

 

2/10昼公演 雪が降っていた全国的に寒波が襲来していた日。公共交通機関が最大90分遅延するだろうと見込んで、早めに家を出て人生初の当日券チャレンジをしてみた。あのドキドキを味わいながらくじを引いて券が買えるまで気が気でなかった。何より2階の下手ボックス1番を引けたのが嬉しかった。人生初のボックス席を味わうなんて、こんな豪華な経験ができることに心は舞い上がっていました。この回でアンサンブルさんの足元まで見られたのが嬉しかった。個人的には女性のアンサンブルさんが履いている肌茶色の靴に懐かしさが込み上げました。学部生の1年間だけ競技ダンス部に所属していた時の先輩がこの靴を履いて練習していた&高校のダンスドリル部の子たちがこの靴を履いてパフォーマンスをしていたから、動きやすさとか諸々の内情を知っていて。多分、ヒールを履き替えて市民や貴族など演じ分ける時間的な余裕がなかったのかもしれないけれど、この靴は踊り手の脚を守ってくれる靴で自由な表現を生みやすい靴だから採用されたのかな、と想像をしていました。(細かいところを見てしまう。ついついの癖。)

 

2/11  昼公演 三兄弟の入場者特典が欲しくて観に行った。前日よりも当日券チャレンジの人数が多くて20人以上いたと記憶している。立ち見かS席のキャンセル待ちを選べたけれど、キャンセルが出なかったら困るので立ち見をすることにした。席の確認に行った時に通路の階段で思い切り転けてしまった。あの時の怪我から一月以上経ってるのに触れると痛い。病院行かねばな。でも、それを忘れるくらい見入ってたわ。立ち見席から見ると照明の当たり方が綺麗で。歌も聞けて。みんなお芝居を見るためにこの席を買ってるんだと思えば、立ち見で貯まるはずの疲労が吹っ飛んで感じられてました。勿論翌日以降にもれなくやって来ましたが。

 

2/12 昼公演(アーカイブ)、夜公演(ライブ配信

犯人は二人ではない、みんなである(笑)

ファン有志による#屋敷でモリミュ はタイミングを逃して不参加だったけれども、円盤発売したときにはぜひとも見たい。多分見入ってしまって、感想を打てる気がしないが。

 

物語の核心に触れないように、できるだけ努めながら書けることを書く。

感想〜全体編〜

・今までのオーパスの中でもウィリアムの孤独にフォーカスが置かれている。対照的なのはシャーロック陣営。相棒コンビの絆が再確認されて、最終局面への綺麗な橋渡しとなっている。

そんなこと、Op4の情報解禁前にアニメ見てざっくり把握していたからわかっていたのに。ここまで心がギチギチなるとは思ってなかった。想定外。(話の展開と合わせると最高の褒め言葉。)

個人的にウィリアムの目線の合わなさが切ない。モリアーティ陣営のみんなから敢えて目線を外していることに意味を感じる。目線を外さないと気でも狂いそうでやっとなのか。過去のオーパスでほとんど答えが出ているので、是非とも見て欲しい。20233月までならdmmtvU-NEXT等で無料で見放題だ。

もし予定が合うのなら現地一択である。繊細さも儚さも細かいところまで味わい尽くせるのは現地のみ。アーカイブでは難しい。過去作を見られるのは嬉しいが、叶うなら時を戻して現地に座りたかった。

※モリミュはとりわけ観劇することを「浴びる」と表現することがある。これはまさにその通りで【役者、演出、音楽、それらが作る熱量ごと受け取りに行く】一種の運動。フェスと一緒といえばイメージがつきやすいだろうか。フェス以上に繊細で儚く、かつ大胆で豪勢な空間を味わいに行く。体力も頭脳も消費する代わりに熱中できるのだ。

モリミュから受け取るモノの量が多くて、消費しきれない。それもあってスタンディングオベーションをすることすら忘れていたし、できなかった。立ちたかったなぁ。伝えたかった。素晴らしかったから。もう一回観に行きたい。立ち見席でもいいから。(2/10に無事に見に行けた。)

暗転時の蓄光テープの量が多いが、そのくらい暗転時の視界が見えにくいんだろうな。よく皆さん動けている。。なんなら一部暗転で次のシーンのセッティングまでしているし。みんなよく場所間違えないな。歩数とかで覚えているのかな?

感想〜本編〜

第一幕 ロンドンの騎士

・モリミュの大きな柱であるアンサンブルの方々。

毎度毎度クオリティが上がっていて畏怖する。特に市民側と貴族側で対立している時の空間に走る緊張感は凄まじい。初めの方に歌われた「ここは大英帝国〜」の曲はない。民衆が諦めていたあの時から、良くも悪くも変わってしまったことがよくわかる。恐らくアンサンブル同士の対立は今回が初めてだった。今までは役付きキャストさんとの対立になっていたからこそ、2.5界のグレーなところへ暗に指摘が入っているようだった。

1人として気の抜けた人がいない。どのシーンを見ても、ダンスひとつとっても。「私はここにいる!」「私を見て!」そんな主張が聞こえてくるのは珍しい。とてもエネルギーに溢れた素敵な人たちだ。彼らが長くステージに立てるようにこちらも気が抜けない。

ミルヴァートン周辺にいるアンサンブルさんたちは特におどろおどろしい。背筋がゾワっとする。きっと劇場出たら優しい一面がある人たちだとわかっていても、怖い。ミルヴァートンと合わせて四方を囲まれたら誰でも気絶するくらい。

次のオーパスでもまた会えますように。

 

・レストレード警部の日替わり

この方の日替わりは毎回毎回面白いんだけれど、2/3の時はハンカチを持った人でコメディの雰囲気そのままにホワイトリー議員にバトンタッチされていて、心の中で「お疲れ様です議員。」となってしまった。これが裏シャロ登場回だと他の動物の鳴き声をヴァイオリンで演奏するのに、犬だけ「ワン!」って言ってたり。事前の打ち合わせお疲れ様です。。絶対楽しい。後、最終日にバルコニー開け閉めする回があったけれど、最終日だからこその粋な演出に見ていて笑いを隠せなかった。この日はお気に入りのカフェでライブ配信を見ていたので、大笑いを腹筋で回収していた。

 

 

とりわけ、ラスキン君本当に君は君って子はなんてピュアで残酷なんだろう。

「正義の騎士にお披露目だ」なんて、、、本当に罪作りな。

あのシーン、個人的にはミルヴァートン様が地獄の門の上で待ってるように見える。そして他3人はどうやらマクベスの魔女たちから発想を得ている3人らしいと知った(有識者たちありがたい教養は人の中で渡り歩いていくものだから語り手がいなければ届くこともないのだ)。あのシーンは、

【ようこそ地獄の入り口へ】 と言わんばかり。後で絵にしよう。(公開時、製作中)

・サム君が伸ばす右手

切ない。これはアニメにもあった描写で、多分伝えたいのは「兄さんが傷ついてでも法改正をすすめるより、僕は兄さんと共に幸せに生きられる方がいい。けれど、きっと僕のために矢面に立ってくれる兄さんは僕が幸せになることを望んでいるから

と、まだまだ続く程心の内に持っているんだろうな。それがお兄さんに伝わることもなく、彼の命は刈り取られてしまったけれど。

手を伸ばした2回とも、兄にその手を取られることはない。悲しい。「兄さん、僕は!」の続きは語られないけれども、「僕は兄さんが無事でいてくれれば、それ十分なんだ。」とも言える。

ここ、個人的に兄を思う弟の心がホワイトリーモリアーティ家でそれぞれ描かれていて心にくる。両家ともに”私の慕う兄さん”だし。この二人は境遇が被って見えるから片方が一家全滅なの、運命の別れ道の先は残酷だ。《正攻法で平等な社会を作る道が絶たれた》と受け取ることもできる。

けれど、これ、ホワイトリー家が公爵などの貴族の中でも上位クラスの貴族だったとして同じことが起きていたかと考えてしまう。勿論貴族同士で牽制しあったり脅迫合戦になることがあっても、Queenの直系だったなら、ミルヴァートンの脅迫は免れなくても他に道はあったのでは?

そんな思考が生まれては爆ぜる。生き残って欲しかったなぁ。

・ノースクロスパークのシーン

ここではホワイトリー議員に招待された3人の車椅子の子どもたちが出てくる。

彼らがお話しているところから、静止画のように止まることもある。操縦技術すごいなと思いつつ、きっと、子供用の車椅子なんてまだないから、大人用の大きな車椅子にクッションやタオルを詰めてくるのかなと思っていたら、そのまま乗ってて驚いた。あと、ハの字型に車輪がある車椅子が一台ある。この車輪はホイール部分に金属が入っている仕組みなんだろうか。それとも、木でできているのだろうか。現地で目視した限りでは木にしか見えなかった!美術さんがすごい!背もたれの装飾を双眼鏡で見た時には驚いた。ここまでこだわっているのかと。

ここのシーン、聞き間違いでなければ、11日のマチネはこどもたちの談笑がマイクから聞こえてきていた。立ち見の時に聞こえるってことは、口パクではなく本当にお話ししている!ことの現地で嬉しくなっていた。この些細な音声がとても嬉しい。彼らもまた、ロンドンの住人だもの。

・生演奏の楽器

第一幕でオルガンを使っていたのが驚きだった。神聖さを奏でられる楽器。パイプオルガンは動かせないから難しいかも知れないけれど、ここで使うのか。不穏さもあって苦しい。素顔の騎士にオルガン犯罪卿にはピアノか。対比だらけ。

・第一幕ラスト

には足音と共に掛けられる罪と罰への罵倒がしんどい。他の方もファンアートで出されていたけれど、罪の衣がもうしんどいofしんどい。罪の衣であり、罵倒の衣でもあるような気がする。街の人に押されながら、たらい回されて。どこまでが幻覚でどこからが現実かわからない

シャーロックだけAhで伝えるのに他3人はどこまで彼に否定の言葉を投げつけていただろうか

ひたすら罵倒を聞き続けるウィリアムの心は、それでも立ち続けていくのか。心を鬼にして

届いた憂国の志を理解する人すら、ひとときを共にして去っていくのは悲しい未来を摘み取った上に託された本人が、より痛ましい。

 

登場人物の中で犯罪卿の事情が推測できているシャーロックだけAh参加なのきっつ!表パートのレストレードは街が荒れることを懸念しているからこそだけれど、「違げぇ、そうじゃねえんだ、なんでこんなこともわからないんだ、この事件はもっと(以下略」とお気持ちが表されているようで、民衆の中で一人だけ言葉を発しないシャーロックと罪の衣を纏ったウィリアムだけがAhで意思疎通してるの。さすが同じ景色を見ている人だけにしか伝わらん!ただその分、他の人に対するシャーロックの諦めをちょっと感じ取った。

 

第一幕はロンドンの騎士という名がついているが、個人的タイトルは『一つの可能性が潰えた瞬間』であり、『民衆の敵、犯罪卿』

第二幕「四つの証人」

・メアリーが兎角謎すぎる

彼女の存在で生まれる謎の数々は、暴かないと最後まで辿り着かないオニオンそのものである。この劇中のメアリーは立ち位置が特殊だ。

憂国のモリアーティに出てくる人物の中では、弱みを握られ平和を脅かされる女性であり、一方で知識と教養を兼ね備えた才色兼備の面もある。長年行方不明だった父親の死に対して理性的に振る舞いつつ、奥底に持ち続けて居る強い願いはとても繊細だった。多分、誰もが願うことのオンパレードでありながら、それらを取り除いた先に願うこと、それは二人の生活がこれからも平穏に続くこと。

彼女の願いは、この数年間のコロナ禍で誰もが思い描いた願い「前のような平穏が欲しい」と少し重なる。私たちの日常は(当時の世界で)未知のウイルスによって一変した。この記事が上がる頃にはマスクの着用が任意になってることだろうか。私もこの生活の変化の影響を受け、精神を患った身である。ある日突然、平穏な生活が崩れ去り、この生活からいつ解放されるかもわからない中で、日々を歩いてきたのだ。メアリーとはまた異なる状況ではあるけれど、平穏である事の愛おしさを味わったあとでの観劇は、心にくるものがある。

静かで切なる願いが生んだ謎は、ミルヴァートンへと繋がる道を作る。と、シリアスな話はひとまずここまでとして。

・アンサンブルさん(という名の名もなき主役たち)の話。

ハドソンさんのソロ曲ではお馴染みの3人娘さんがいるのだが、たまにユリ・ゲラーやってたり、1幕のレストレード警部のネタをまんま引っ張ってきていたりと、シリアスとコメディを同時展開されるので、目が足りません(笑)特にメアリーのパートでよく遊びが入っていたから、メインを食う気満々でらっしゃる。。ハドソンさんの心情表現を担当しているにしてはだいぶ遊びが入っていて、本編がダーク分の救済と解釈した。欲を掻くならせめて曲の流れとかと調和してて欲しいかな。。。本気で右目をメアリーに左目をハドソンさんたちに分けないといけなくなったので。

・グレッグソン警部の犯人特定コーナー

こちらも毎回趣向が凝らされていて素晴らしい。流石に厨二病回の時は無理矢理がすぎるのでは?と思っていたけれど、あそこで人笑いをお届けされてはたまらなくなってしまます。。。癖になる味付けでした、おかわりください。

千秋楽の時にはシャーロックというより中の役者さんからがっつり指摘を受けていて、楽屋裏を見させていただいた心地でした。きっとこうやって作っては没にされて日の目を見ないネタあるんだろうな。。頭が上がらない。。でも確かに前作オマージュやった後に腹話術はなくていい気がする。後、回によって真犯人を逮捕した後のセリフが付け足されるのは、目の前で生きた会話を聞いているようで嬉しかったです。うん、関係性によって放たれる言葉や間が変わるのは虚構の世界でもあると嬉しい要素。特に、【普段うまく会話ができない、素直に言葉を紡ぐのが苦手な私にとって、嬉しい手本だから。】

・昼夜問わずのお呼び出しお疲れ様です、警部。

まさかこれで一曲作れるとは素晴らしいです。過去のOpus1番欲しい物を聞かれた時に「出番」とおっしゃっていたこと、ここまで大きく回収されるとは思ってもみなくて驚きました。シャーロックのある意味保護者のなかで、正義感ある佇まい。毎回お歌の後に頼むものが飲み物から食べ物に代わり(笑)いつだったかナポリタンをオーダーされてた時はフォーク浮いてて、思わず「えっ」と言ってしまった。。役者さんたちは観客のナチュラルな反応を奪うのが上手くて!こんな体験をしてしまったら他へ行けません、お嫁にもw 

しゅんりーさんのいいところなんだろうな。黒執事観てても、あのダークな世界で似た時間軸で、原作ではほんの僅かしか登場していないキャラクター像を膨らませて成立させる技術は一品です。黒執事の彼よりは、少し脳筋な印象があるレストレードだけれど、苦労人であることがよく伝わる。確かにわからないよね。シャーロックが説明省くし、ジョンくんいないと通訳なしで理解する外国語みたいなもんよね。

と、徒然なるままに書き散らしていたらメインキャストまで戻ってしまった。

 

お船で逃げる犯人たちのシーン

犯人側の船の操縦士、川原さんがやってなかった?裏役だったのかな?1回目の観劇で声が似ていると思いつつチェックできなかったけれど、2回目の観劇が下手1番バルコニーだったからすぐに気がついた。結構嬉しい。ハイステを離れても大事なシーンが任されている俳優さんって巣すごく憧れる。まさに【縁の下の力持ち】そのもの。こういった俳優さんがずっと仕事を続けていられるように、ランブロで課金しました。アンサンブルさんの賃金上げ隊。おかげで、お財布は寂しくなってしまったけれど、でもそれくらい良かった。後悔のない投資だった。

さて、第二幕のタイトルは「四人の証明」、個人的タイトルは「静かな悪魔、平穏の一欠片」

 

・物語は第三章へノンストップで向かう。

タイトルは「犯人は二人」、個人的には「運命の前日」。

・ミルヴァートンのお願いは、正しく脅迫でした。

はじめに見た時は席の都合上見えにくかったけれど、ハドソンさんの入れたお茶にタバコ入れたんかい。ジョン君怒るわそりゃ。ラスキンは原作通りお水かけてるし。。ミルヴァートニアさんだからな。。彼ほどピュアに感情を向けられる人いないのでは?気づけミルヴァートン、この人ただのいい子じゃないと思うのよ、あなたがいなきゃ死にそうなんだよね。部下は大事にしてね(時既に遅し)。

それに加えて、

・パンを踏むシーン。

2/3に見た時はここで心が死にましたね。これ以上精神的負担がかからないようにシャットアウトしてた。もちろん、後で無事解凍できたけれど。何回か見ているとこのシーンに耐性ができて、笑って見てたけれど。無論面白くて笑っているのではなく、滑稽だなぁと思いつつ。典型的なサディズムでありながら、私にはあまり耐性がないところだったから、ここのシーンのシャーロックの切り返しに拍手を送りたくなった。良くも悪くも「相手の意を完全には汲まない、かつ自分の意見を言うこと」は、相手のペースに飲まれやすい私には新たな解法になった。勿論、シャーロックは喧嘩売る気でいたんだろうけれど。アサーティブ(自分も相手も攻撃せず、中立に意見を言う手法)とは程遠いけれど、興味深い例。

 

・ジョンとの友情の歌。

すごく素敵でシャーロックらしい。相手のライフステージの変化に応じながら、関係性を深めていく。素敵な在り方だ。ここのシーンには現地でしかわからない裏話があるのだ。

・裏話

スイッチングだと機構の上にいる二人を映すから見えないけれど、現地ではこの会話の最後の方でウィリアムとアンサンブルさんが準備始めてるのよ。ここの寒暖差は本当に切なかった。シャーロック陣営の友情が暖められたすぐ後で、ウィリアムが見ているのは市民たちからの非難の声なんだもの。しかもその後の歌、「ああ、愛しき仲間たちよ どうか美しき世界で生きて」ってもう!ご自身が居ないカウントなのよ自分は地獄の業火に焼かれてる覚悟を持って、地上の悪魔の1として消えるつもりなんだ。なんて悲しいのだろう。

手前勝手に地獄の門を閉めようとしないの!と、ツッコミを入れられるまでに時間がかかった。ここのシーンのアンサンブルさんが持つ布はを表すのに、次のアルバート兄さんの歌ではがっつり業火を表す。音立てて旗めかせるから、アルバートの中にある自責の気持ちが業火としてその心を焼き尽くす。これから焼かれる弟と、現在進行形で自ら心を焼く兄との対比。

それでも、同じ業火で共に焼かれることのない様は地獄そのもの。

何より、「どうか、呪ってくれ」って優しさ通り越して激重感情投げらっしゃる!「呪」って漢字は1番上の兄弟が神様相手に願いを言う姿と口の形からできたらしい。このシーンほぼそのまんまなのよな。放たれるのが『まじない』ではなく『呪い』だからこちらの心にまでグッと重いモノがのしかかる。しかもウィリアムがアルバートを呪えないことは知っているはずなのに、気持ちを放っちゃうところがアルバートの自責の強さを伺わせる。本当にしんどい。原作だとだいぶ後のエピソードだけれど、このエピソード回収されるかな、Op.5で。回収されて欲しいけれど、時間が足りないような気もする。

 

と、だいぶしんどい話が続いたからここで一息。

 

・個人的に気になった、床の使い方。

モリアーティ陣営とシャーロック陣営、今回芝居中の立ち位置が黒床と床(一段上がったところ)になっていて、ここでも感じ取るところがあった。モリアーティ陣営が暗い場所を歩いていることとは対照的に、シャーロックは思考中でしか降りてこない。正に同じ地平で思考しているのかな。後は、ミルヴァートンと交渉している時くらいか。。。物語に影が差すときに使われている。

 

かと思えば、ノースクロスパークの時はバリアフリーな道として活用されていて、あらゆる障壁のない世界の暗喩にも使われる。シンプルな舞台構造に複数の意味が持ち込まれた上で、調和しているのがすごい。個人的には、「え、どこまで言っても彼らは段の上(普通の世界)で生きることはないんだね、しんどい。」と深読みしてぐさっときていた。もちろん階段を使うことはあるの、なんならバルコニーみたいなところも使うの。でもそこに陣営全員が一緒にいることはない。ホワイトリーとの対比構造に使われている時、それぞれが思いの丈を叫んでいる歌唱中も、みんな固まって同じ場所にいることはない。心は千々に乱れてるんだな。。方向性がずれていくバンドを見ているようで心ギチギチでした。

でもな、ここを乗り越えないとルイスの精神的独立のチャンスを逃すことになるからな。。最悪の場合、兄さん追いかけて自暴自棄担って死を選ぶ程度の想像はしていたよ。兄様たちの庇護と愛で守られて家の外を最低限かつ偏って見ている彼が、外の世界を生きて渡り歩く。元々のスペックが高い人でも精神的な支えを失った後で歩いて行くのは容易じゃない。ましてや生まれてからずっと一緒にいた人を失うのだから。。塞がらない穴が空いたまま生きていくんだぞ。生きた屍になっているルートあったと思うのよ。

必要な試練とはいえ、見ているだけで悲しくなってくる。心にこみ上げるものが多くて3日間は濁流になってたなぁ。

 

・楽器に触れる

まだ、Opus3だとウィリアムがピアノに触れたりして楽器と一体化して感情が紡がれることもあったからここまで意識していなかったけれど、今回はそれがなかったからな。お触り遠慮のピアノさんだったのか?気になる。

 

・ミルヴァートン別邸のシーン

最初からウィリアムいるのに表情見えない。。照明さんグッジョブすぎる。モリアーティ陣営で珍しくアルバート兄さんが殺陣やってる!Twitter有志の方が「アルバート兄さんは足技繰り出しているよ!」と呟いていたおかげで2回目以降は足技も見られました最高すぎる!

アルバートはあまり荒事に出てくる印象はなくて。計略と心理戦で出てくる印象があったけれど、さすが久保ヒデさん。かっこよすぎん?なんならルイスが目の前で殺陣しているのに、全く視線合わない三つ巴が面白い。まるで《そこにいるのに違う世界を生きている人たちの邂逅》を見ている気分。

 

それでいて、本筋である三つ巴の心理戦も動く。ミルヴァートンからすれば完全勝利なんだろうな。読み違えることも含めて誘導かけられるウィリアムの仕事が光る。正にジョハリの窓で見える盲点だ。本当に美しい。そして、ミルヴァートンから語られる状況説明を理解してるから省略したいのに最後まで聞いた上での「終わりか?長えよ。」がもうね、たまらん!ミルヴァートン劇場の終幕であり、2人の物語の始まりが、「ああ、犯罪卿お前が〜 俺の思うお前だったなら〜」を転調してお出しされるんですよ!?あの場の回答として最適で最短を出してくるシャーロックにグッジョブしか浮かばん!!

しかもこの土壇場で確認することが「リアムの望み」って、ジョン君で実績解除した友情をここで使うか!大事にしたい人がどんどん増えるシャーロックだからこその葛藤だしな。。彼の信念が曲がる瞬間を目撃するのがジョンではなくウィリアムなのも、手を緋色に染めることも同じ目線に立つ手筈が整いすぎてて、、いずれは殺人を犯させる気でいた(なんならそれはウィリアム自身を殺させる気だった)としても、どこまで誘ってるんですかウィリアムさん!

 

・最後のソロ曲

ここでも、「あなたの心に風を届けた人に、命の灯火を消させんでくれ頼むから!」と「ここまで抱えて来た罪と穢れを細部まで読み通して伝えてくれる力があるシャーロックにこそ、凍えたこの身ごと跡形もなく消し去るのにはふさわしい」ってアンサーが聞こえてきそう。

地獄の業火で焼かれる前に、跡形もなくとまでは言ってないけれど、「君に焼かれるなら本望」というか。とてつもなく大きな感情が出て来ていて、すごく好きでした。

それに対するアンサーとも告解とも取れるシャーロックソロ曲は、同じ空間にはいないんだけれども、ウィリアムが舞台のセンターに残ったまま始まって、微笑み浮かべて去っていくの。シャーロックにとってはなているウィリアムに見えたんだろうか、それとも微笑みを浮かべて話す人に見えていたんだろうか、気になるけれど。あのソロ曲の後にうずくまったまま芝居続行してる鈴木さんすごいわ。どうやって毎回気持ち切り替えてたんだろう。知りたい。

けれど、「お前の心捕まえてやる」はシャーロック1人だけになる。雑踏の中にいるシャーロックは現在地なんだろうな。この時のウィリアムへの思いが歌詞を重ねるごとに大きくなっているのが肌でわかった。だからこそ、次の曲は大きな布石になる。

・運命の馬車は行く

最後になるのに2人のデュエットは感情のぶつけ合いになっててこの2人、ひいてはロンドンの街全ての運命を司る手綱は誰が握っているんだろうと、握る人への注目が高まった。

この曲、2人以外の肩が口ずさむ歌詞は、「wheel派」と「carriage派」がいそう。公演当時のTwitterでは歌詞起こししている人をよく見かけてたが、軒並みwheelだった。私はcarriage派だ。車輪って歌詞でも出てるから最初そうだと思っていたけれど、carriageにすると、手綱を引く人に気付けるメリットがつくんだよ。。。Op.5へのつながりを持ちやすいからこっちを推す。あとな、モリアーティ陣営にはいつだって御者の仕事している方々がいるじゃないですか。。。そこに引っ掛けたのかなとか勝手に妄想膨らませてます。。(こういうの大好きな性分でして。2/12の昼公演はまだチェックしてないので、勘違いだったらお恥ずかしい。)

 

 

 

結論:我の心は限界ぞ!

Op.5まで妄想の自家発電して延命することとする!お金ない!でも楽しかった!なんならお金稼いで貯めるモチベになった!臨時バイトで稼ぐぞ!修士課程頑張るモチベにはならないけれど、人生を楽しむモチベにはなった!