Rin_Mikageのブログ

気ままに。思考は自由に。

学業と孤独:自己成長の道程を歩む

年が明けた。

早々に、地震津波、火災にSNSのデマと、まだ1週間と経っていない中で世の中が大きく変化していっている。

 

私には、提出予定の修士論文とスライドと。レポートが待っている。おかしいなあ。

これでも減らしたんだが。

 

レポート5題、解いたら終わり。

証明をつけたらおしまい。

 

今まで人に頼ったことがなかった。頼ったところで、本当に欲しいものがそのまま手に入るわけがないからだ。わかっている。傲慢だって。けれど、永遠に満たされないこの飢餓感を適切に埋める方法が、頭でわかってても骨の髄まで理解してない。

 

おそらくリテイクを重ねること。それも自分以外の他人と。

刀を作る時と同じ。誰かがいなけりゃ、いいものは作れない。

誰かとつながり、誰かを活かし、自分が自分でいながら他人と関わる。

 

私がずっとできなかったものだ。できている様に見えて、自分から進んでできなかった。閉じこもってしまった。できるときは、自分よりできる人か全くできない人と一緒だった。自分の意見を聞いてくれるイエスマンを近くに寄せた。

 

苦しい時に踏ん張れない、踏ん張る前に既に力を使い果たしている。

 

本当に必要だったのは、きっと、傷ついてもいいから誰かと関わることだったのかもしれない。自分の専門でも、どこででも。プライド以上に技術を磨くことを優先できなかった。

 

自分の中にある課題を消化することに使ってしまったから。

自分らしく生きられていない苦しさと向き合うことにしたから。

 

けれどそれは、多分、誰もが抱えていて、時間をかけて消化していくもので。

現実と向き合いながら一つ一つ解消していくものだった。

 

どうしても必要だった。自分がバラバラになっていく感覚に耐えきれなくて、どこかで自分をつなげておかないと、本当に自分が消えてなくなっていく様な恐怖に耐えきれなかった。

 

就職活動して、ありがたいことに内定をもらえた。

前回の本命だ。技術者か、営業権設計書を書く人か。わからないけれど、私にできるのか不安があった。いつでも不安だ。

あと一社だけ受けて就職活動を終えたい。ただ、私は、この会社に入りたい気でいる。業績は良くない。多分事業規模縮小してる。先行きがわからない。

 

エンジニアとしてさすらって生きていくのか、マイコンとともに生きていくのか。

わからない。本当に。

 

未来が定まらない。

 

不安だ。ひどく。

 

けれど、不安だけれど歩かなくちゃ。もう、十分と言って良いくらい足踏みしたから。わからなければ素直に聞けば良いことも。自分の糧としていけば良いことも。

 

この世界に正解はない。学歴が全てではない。性格が全てでもなく、運の要素に争うことはできない。けれど、何もしない人を救うほど甘くできていない。この世知辛い世界で、地に足をつけて生きるために。

 

今日を終える。明日を生きる。一日一日、やれることに誠実に。生きていく。

ただそれだけ。

修士論文と就職活動。

久しぶりのブログ。

書きたいことがありすぎるので、ここで消化。

 

そろそろ論文執筆チームは「アレ」の時期である。そう、『バックアップ取っとけよ』問題である。かくいうこのブログ、私が持ってる中でも一二を争うほど古いUSBにバックアップをとっている間、暇になってしまったので書いているので、貴重な時間を有効活用していると言えば聞こえもいいかもしれない。

 

修士論文に求められることは、主に一つ。

先行研究をもとに自分なりの新しい成果を一つ出すこと。たとえそれがちょっとした補題の証明だとしても。

 

大学院生稼業を数年やっていて、(それも2年休学している分、人よりも多く。)肌で感じることの大切さを改めて味わう。研究然り、自分の人生然り、就職活動然り。『何か違和があるなぁ』と感じるところには自分の人生の課題のヒントが詰まっているし、自分にとって何が重要で、どこまでなら譲れるのか。ここだけは守り抜きたい!と思えるポイント、新たな価値観。本当に出会いの連続で、休む暇がなかった。この八年間の学生生活は本当に私にとって有意義なものになったし、そうできたと自負している。

 

そこまで全力でやり切ることがどこかかっこ悪いと思っていた自分と、やりきれないことにモヤモヤを感じていた自分を持っていた私にとって、この八年間は葛藤の連続でまさに思春期そのものだったと思う。人生に一度だけ訪れる春。春の芽吹きの困難さに苛まれながら、演劇を通して自分を客観視したり、さまざまなバックグラウンドを持つ人と交流して自分の世界の狭さを思い知ったり、新たな世界とつながり発展していくためのマインドセットや、このブログのように自分の考えを記述して発信することも含めて。

 

何から何までいい経験だったと思う。得難い経験だった。

 

だからこそ、今の自分の気持ちを残しておきたい。社会人になる前の自分。まだ就職活動中の自分の気持ちを。具体的な会社名は伏せるが、ざっくりとしたイメージと所感を書き連ねていく。

 

・現状の第一志望、組み込み系に強みがある会社のSE。人間と機械の間を取りもてる仕事に着くのは、さまざまな人と関わってきた私にとって天職とも言える。福利厚生、女性の活躍進出、手に職と言えるほどの技術を身につけられる環境。

遅く就活を始めた私に待っていた優良物件その1である。

社長が適性検査の試験監督をするほど、特徴しかない会社であるが、従業員数が少ないのと、非上場である点、若い年齢層と上の年齢層に二分されやすく中間層はこれから育つというオプションがついてくる。若手兼女性である私にとって、試行錯誤しながら挑戦できるアットホームな空間は好きである。

 

ただ、技術屋と営業が分離している点がちょっと苦手である。私はその辺りを横断できる方が自由でもっと好きなので、その点は物足りないかもしれない。ただ、これからIoT分野や医療系、さまざまなことに進出する素地がある会社なので、客先常駐だとしてもさまざまな業界のシステムに触れられて楽しいかもしれない、と期待を込めている。

 

・もう一つの優良物件。強みとなる技術を核として業界の当たり前を変えていくミッションを持った会社である。IT業界はどうしても多重受け構造になりやすい性質がある、勿論これに対抗するべくさまざまな会社が一括で受注するなどの対策をとっているが抜本的な解決策というよりはマンパワーに訴えかけた方策のように思えて、個人的に『宝石のような澄んだキラキラ感』がない。

 

数学をしているときに出会った『宝石のような澄んだキラキラ感』は、私の中で重要な指標になっていて、なかなかお目にかかれるものではない。美しい定理や主張に出会ったり、明確な論理に触れたときにしか見えないものだ。

 

その点、この会社のとった方策は、属人性のないシステム開発をしていて、いずれ業界のスタンダードになるだろうと予測できるものだった。自分はその中で、カスタマーたる会社と技術者を繋ぐ役割がしたい。役職的には「ビジネスアーキテクト」というらしい。プロジェクトマネージャー職を元々目指していたが、ここでならもっといい仕事の形を模索できるのではと思う。

 

仕事環境や福利厚生、自由な雰囲気。24時間仕事のような生活をしている自分からすると馴染みやすい。その代わり、オンとオフのつきにくい生活になってしまわないかと、自己管理が外資並みに求められる点が大変かもしれない。

 

まだ通ってもない企業のことをあれこれと考えるのは、皮算用が過ぎるかもしれないが。

 

他にもさまざまな会社を受けているが常に思う点がある。

 

「これは、私がやりがいを持って、目標や意志、自分の習性を活かして働くことのできる空間か」

 

選考を受けるときは、これに当てはまらない会社もわざと受けている。その方が話すときのスキルが磨かれて本命企業の時にリラックスして話すことができるからだ。内定を取りたい。けれど、どこでもいいわけではない。

 

私が私らしく働ける会社であることが絶対外せない。

 

だから、今受けている企業の結果が出るまで就職活動を続けてみようと思う。

 

私が私であることを貫いて、しなやかに生きていくために。

モリミュOp.4 ネタバレ有り 感想。

《注意書き》10000字あるので、いつでも離脱してくだされ。複数公演あると文字数が増える増える。

 

~公演回ごとの感想~

2/3夜公演 まさか、推しの誕生日前夜だなんて知らなかったよ。。知ってたら翌日に回したよ。。。ウィリアムさん。。。けれど、3階席まで見上げてくださってありがとうございました。目線が合う席で良かったです。双眼鏡越しに目が合うってこんなに心臓に悪かったんですね。そりゃ、オタクがゲル化するわけですよ。。意識飛んでも仕方なしだ。

歌から感じる圧に、あの時代の人たちの生きづらさがのし掛かったような心地でした。スタオベしたかったけれど、できなかったなぁ。闇は晴れるどころか、一層暗さを増していて。本当に苦しいなぁと思いながら帰路に着いた回でした。

 

2/10昼公演 雪が降っていた全国的に寒波が襲来していた日。公共交通機関が最大90分遅延するだろうと見込んで、早めに家を出て人生初の当日券チャレンジをしてみた。あのドキドキを味わいながらくじを引いて券が買えるまで気が気でなかった。何より2階の下手ボックス1番を引けたのが嬉しかった。人生初のボックス席を味わうなんて、こんな豪華な経験ができることに心は舞い上がっていました。この回でアンサンブルさんの足元まで見られたのが嬉しかった。個人的には女性のアンサンブルさんが履いている肌茶色の靴に懐かしさが込み上げました。学部生の1年間だけ競技ダンス部に所属していた時の先輩がこの靴を履いて練習していた&高校のダンスドリル部の子たちがこの靴を履いてパフォーマンスをしていたから、動きやすさとか諸々の内情を知っていて。多分、ヒールを履き替えて市民や貴族など演じ分ける時間的な余裕がなかったのかもしれないけれど、この靴は踊り手の脚を守ってくれる靴で自由な表現を生みやすい靴だから採用されたのかな、と想像をしていました。(細かいところを見てしまう。ついついの癖。)

 

2/11  昼公演 三兄弟の入場者特典が欲しくて観に行った。前日よりも当日券チャレンジの人数が多くて20人以上いたと記憶している。立ち見かS席のキャンセル待ちを選べたけれど、キャンセルが出なかったら困るので立ち見をすることにした。席の確認に行った時に通路の階段で思い切り転けてしまった。あの時の怪我から一月以上経ってるのに触れると痛い。病院行かねばな。でも、それを忘れるくらい見入ってたわ。立ち見席から見ると照明の当たり方が綺麗で。歌も聞けて。みんなお芝居を見るためにこの席を買ってるんだと思えば、立ち見で貯まるはずの疲労が吹っ飛んで感じられてました。勿論翌日以降にもれなくやって来ましたが。

 

2/12 昼公演(アーカイブ)、夜公演(ライブ配信

犯人は二人ではない、みんなである(笑)

ファン有志による#屋敷でモリミュ はタイミングを逃して不参加だったけれども、円盤発売したときにはぜひとも見たい。多分見入ってしまって、感想を打てる気がしないが。

 

物語の核心に触れないように、できるだけ努めながら書けることを書く。

感想〜全体編〜

・今までのオーパスの中でもウィリアムの孤独にフォーカスが置かれている。対照的なのはシャーロック陣営。相棒コンビの絆が再確認されて、最終局面への綺麗な橋渡しとなっている。

そんなこと、Op4の情報解禁前にアニメ見てざっくり把握していたからわかっていたのに。ここまで心がギチギチなるとは思ってなかった。想定外。(話の展開と合わせると最高の褒め言葉。)

個人的にウィリアムの目線の合わなさが切ない。モリアーティ陣営のみんなから敢えて目線を外していることに意味を感じる。目線を外さないと気でも狂いそうでやっとなのか。過去のオーパスでほとんど答えが出ているので、是非とも見て欲しい。20233月までならdmmtvU-NEXT等で無料で見放題だ。

もし予定が合うのなら現地一択である。繊細さも儚さも細かいところまで味わい尽くせるのは現地のみ。アーカイブでは難しい。過去作を見られるのは嬉しいが、叶うなら時を戻して現地に座りたかった。

※モリミュはとりわけ観劇することを「浴びる」と表現することがある。これはまさにその通りで【役者、演出、音楽、それらが作る熱量ごと受け取りに行く】一種の運動。フェスと一緒といえばイメージがつきやすいだろうか。フェス以上に繊細で儚く、かつ大胆で豪勢な空間を味わいに行く。体力も頭脳も消費する代わりに熱中できるのだ。

モリミュから受け取るモノの量が多くて、消費しきれない。それもあってスタンディングオベーションをすることすら忘れていたし、できなかった。立ちたかったなぁ。伝えたかった。素晴らしかったから。もう一回観に行きたい。立ち見席でもいいから。(2/10に無事に見に行けた。)

暗転時の蓄光テープの量が多いが、そのくらい暗転時の視界が見えにくいんだろうな。よく皆さん動けている。。なんなら一部暗転で次のシーンのセッティングまでしているし。みんなよく場所間違えないな。歩数とかで覚えているのかな?

感想〜本編〜

第一幕 ロンドンの騎士

・モリミュの大きな柱であるアンサンブルの方々。

毎度毎度クオリティが上がっていて畏怖する。特に市民側と貴族側で対立している時の空間に走る緊張感は凄まじい。初めの方に歌われた「ここは大英帝国〜」の曲はない。民衆が諦めていたあの時から、良くも悪くも変わってしまったことがよくわかる。恐らくアンサンブル同士の対立は今回が初めてだった。今までは役付きキャストさんとの対立になっていたからこそ、2.5界のグレーなところへ暗に指摘が入っているようだった。

1人として気の抜けた人がいない。どのシーンを見ても、ダンスひとつとっても。「私はここにいる!」「私を見て!」そんな主張が聞こえてくるのは珍しい。とてもエネルギーに溢れた素敵な人たちだ。彼らが長くステージに立てるようにこちらも気が抜けない。

ミルヴァートン周辺にいるアンサンブルさんたちは特におどろおどろしい。背筋がゾワっとする。きっと劇場出たら優しい一面がある人たちだとわかっていても、怖い。ミルヴァートンと合わせて四方を囲まれたら誰でも気絶するくらい。

次のオーパスでもまた会えますように。

 

・レストレード警部の日替わり

この方の日替わりは毎回毎回面白いんだけれど、2/3の時はハンカチを持った人でコメディの雰囲気そのままにホワイトリー議員にバトンタッチされていて、心の中で「お疲れ様です議員。」となってしまった。これが裏シャロ登場回だと他の動物の鳴き声をヴァイオリンで演奏するのに、犬だけ「ワン!」って言ってたり。事前の打ち合わせお疲れ様です。。絶対楽しい。後、最終日にバルコニー開け閉めする回があったけれど、最終日だからこその粋な演出に見ていて笑いを隠せなかった。この日はお気に入りのカフェでライブ配信を見ていたので、大笑いを腹筋で回収していた。

 

 

とりわけ、ラスキン君本当に君は君って子はなんてピュアで残酷なんだろう。

「正義の騎士にお披露目だ」なんて、、、本当に罪作りな。

あのシーン、個人的にはミルヴァートン様が地獄の門の上で待ってるように見える。そして他3人はどうやらマクベスの魔女たちから発想を得ている3人らしいと知った(有識者たちありがたい教養は人の中で渡り歩いていくものだから語り手がいなければ届くこともないのだ)。あのシーンは、

【ようこそ地獄の入り口へ】 と言わんばかり。後で絵にしよう。(公開時、製作中)

・サム君が伸ばす右手

切ない。これはアニメにもあった描写で、多分伝えたいのは「兄さんが傷ついてでも法改正をすすめるより、僕は兄さんと共に幸せに生きられる方がいい。けれど、きっと僕のために矢面に立ってくれる兄さんは僕が幸せになることを望んでいるから

と、まだまだ続く程心の内に持っているんだろうな。それがお兄さんに伝わることもなく、彼の命は刈り取られてしまったけれど。

手を伸ばした2回とも、兄にその手を取られることはない。悲しい。「兄さん、僕は!」の続きは語られないけれども、「僕は兄さんが無事でいてくれれば、それ十分なんだ。」とも言える。

ここ、個人的に兄を思う弟の心がホワイトリーモリアーティ家でそれぞれ描かれていて心にくる。両家ともに”私の慕う兄さん”だし。この二人は境遇が被って見えるから片方が一家全滅なの、運命の別れ道の先は残酷だ。《正攻法で平等な社会を作る道が絶たれた》と受け取ることもできる。

けれど、これ、ホワイトリー家が公爵などの貴族の中でも上位クラスの貴族だったとして同じことが起きていたかと考えてしまう。勿論貴族同士で牽制しあったり脅迫合戦になることがあっても、Queenの直系だったなら、ミルヴァートンの脅迫は免れなくても他に道はあったのでは?

そんな思考が生まれては爆ぜる。生き残って欲しかったなぁ。

・ノースクロスパークのシーン

ここではホワイトリー議員に招待された3人の車椅子の子どもたちが出てくる。

彼らがお話しているところから、静止画のように止まることもある。操縦技術すごいなと思いつつ、きっと、子供用の車椅子なんてまだないから、大人用の大きな車椅子にクッションやタオルを詰めてくるのかなと思っていたら、そのまま乗ってて驚いた。あと、ハの字型に車輪がある車椅子が一台ある。この車輪はホイール部分に金属が入っている仕組みなんだろうか。それとも、木でできているのだろうか。現地で目視した限りでは木にしか見えなかった!美術さんがすごい!背もたれの装飾を双眼鏡で見た時には驚いた。ここまでこだわっているのかと。

ここのシーン、聞き間違いでなければ、11日のマチネはこどもたちの談笑がマイクから聞こえてきていた。立ち見の時に聞こえるってことは、口パクではなく本当にお話ししている!ことの現地で嬉しくなっていた。この些細な音声がとても嬉しい。彼らもまた、ロンドンの住人だもの。

・生演奏の楽器

第一幕でオルガンを使っていたのが驚きだった。神聖さを奏でられる楽器。パイプオルガンは動かせないから難しいかも知れないけれど、ここで使うのか。不穏さもあって苦しい。素顔の騎士にオルガン犯罪卿にはピアノか。対比だらけ。

・第一幕ラスト

には足音と共に掛けられる罪と罰への罵倒がしんどい。他の方もファンアートで出されていたけれど、罪の衣がもうしんどいofしんどい。罪の衣であり、罵倒の衣でもあるような気がする。街の人に押されながら、たらい回されて。どこまでが幻覚でどこからが現実かわからない

シャーロックだけAhで伝えるのに他3人はどこまで彼に否定の言葉を投げつけていただろうか

ひたすら罵倒を聞き続けるウィリアムの心は、それでも立ち続けていくのか。心を鬼にして

届いた憂国の志を理解する人すら、ひとときを共にして去っていくのは悲しい未来を摘み取った上に託された本人が、より痛ましい。

 

登場人物の中で犯罪卿の事情が推測できているシャーロックだけAh参加なのきっつ!表パートのレストレードは街が荒れることを懸念しているからこそだけれど、「違げぇ、そうじゃねえんだ、なんでこんなこともわからないんだ、この事件はもっと(以下略」とお気持ちが表されているようで、民衆の中で一人だけ言葉を発しないシャーロックと罪の衣を纏ったウィリアムだけがAhで意思疎通してるの。さすが同じ景色を見ている人だけにしか伝わらん!ただその分、他の人に対するシャーロックの諦めをちょっと感じ取った。

 

第一幕はロンドンの騎士という名がついているが、個人的タイトルは『一つの可能性が潰えた瞬間』であり、『民衆の敵、犯罪卿』

第二幕「四つの証人」

・メアリーが兎角謎すぎる

彼女の存在で生まれる謎の数々は、暴かないと最後まで辿り着かないオニオンそのものである。この劇中のメアリーは立ち位置が特殊だ。

憂国のモリアーティに出てくる人物の中では、弱みを握られ平和を脅かされる女性であり、一方で知識と教養を兼ね備えた才色兼備の面もある。長年行方不明だった父親の死に対して理性的に振る舞いつつ、奥底に持ち続けて居る強い願いはとても繊細だった。多分、誰もが願うことのオンパレードでありながら、それらを取り除いた先に願うこと、それは二人の生活がこれからも平穏に続くこと。

彼女の願いは、この数年間のコロナ禍で誰もが思い描いた願い「前のような平穏が欲しい」と少し重なる。私たちの日常は(当時の世界で)未知のウイルスによって一変した。この記事が上がる頃にはマスクの着用が任意になってることだろうか。私もこの生活の変化の影響を受け、精神を患った身である。ある日突然、平穏な生活が崩れ去り、この生活からいつ解放されるかもわからない中で、日々を歩いてきたのだ。メアリーとはまた異なる状況ではあるけれど、平穏である事の愛おしさを味わったあとでの観劇は、心にくるものがある。

静かで切なる願いが生んだ謎は、ミルヴァートンへと繋がる道を作る。と、シリアスな話はひとまずここまでとして。

・アンサンブルさん(という名の名もなき主役たち)の話。

ハドソンさんのソロ曲ではお馴染みの3人娘さんがいるのだが、たまにユリ・ゲラーやってたり、1幕のレストレード警部のネタをまんま引っ張ってきていたりと、シリアスとコメディを同時展開されるので、目が足りません(笑)特にメアリーのパートでよく遊びが入っていたから、メインを食う気満々でらっしゃる。。ハドソンさんの心情表現を担当しているにしてはだいぶ遊びが入っていて、本編がダーク分の救済と解釈した。欲を掻くならせめて曲の流れとかと調和してて欲しいかな。。。本気で右目をメアリーに左目をハドソンさんたちに分けないといけなくなったので。

・グレッグソン警部の犯人特定コーナー

こちらも毎回趣向が凝らされていて素晴らしい。流石に厨二病回の時は無理矢理がすぎるのでは?と思っていたけれど、あそこで人笑いをお届けされてはたまらなくなってしまます。。。癖になる味付けでした、おかわりください。

千秋楽の時にはシャーロックというより中の役者さんからがっつり指摘を受けていて、楽屋裏を見させていただいた心地でした。きっとこうやって作っては没にされて日の目を見ないネタあるんだろうな。。頭が上がらない。。でも確かに前作オマージュやった後に腹話術はなくていい気がする。後、回によって真犯人を逮捕した後のセリフが付け足されるのは、目の前で生きた会話を聞いているようで嬉しかったです。うん、関係性によって放たれる言葉や間が変わるのは虚構の世界でもあると嬉しい要素。特に、【普段うまく会話ができない、素直に言葉を紡ぐのが苦手な私にとって、嬉しい手本だから。】

・昼夜問わずのお呼び出しお疲れ様です、警部。

まさかこれで一曲作れるとは素晴らしいです。過去のOpus1番欲しい物を聞かれた時に「出番」とおっしゃっていたこと、ここまで大きく回収されるとは思ってもみなくて驚きました。シャーロックのある意味保護者のなかで、正義感ある佇まい。毎回お歌の後に頼むものが飲み物から食べ物に代わり(笑)いつだったかナポリタンをオーダーされてた時はフォーク浮いてて、思わず「えっ」と言ってしまった。。役者さんたちは観客のナチュラルな反応を奪うのが上手くて!こんな体験をしてしまったら他へ行けません、お嫁にもw 

しゅんりーさんのいいところなんだろうな。黒執事観てても、あのダークな世界で似た時間軸で、原作ではほんの僅かしか登場していないキャラクター像を膨らませて成立させる技術は一品です。黒執事の彼よりは、少し脳筋な印象があるレストレードだけれど、苦労人であることがよく伝わる。確かにわからないよね。シャーロックが説明省くし、ジョンくんいないと通訳なしで理解する外国語みたいなもんよね。

と、徒然なるままに書き散らしていたらメインキャストまで戻ってしまった。

 

お船で逃げる犯人たちのシーン

犯人側の船の操縦士、川原さんがやってなかった?裏役だったのかな?1回目の観劇で声が似ていると思いつつチェックできなかったけれど、2回目の観劇が下手1番バルコニーだったからすぐに気がついた。結構嬉しい。ハイステを離れても大事なシーンが任されている俳優さんって巣すごく憧れる。まさに【縁の下の力持ち】そのもの。こういった俳優さんがずっと仕事を続けていられるように、ランブロで課金しました。アンサンブルさんの賃金上げ隊。おかげで、お財布は寂しくなってしまったけれど、でもそれくらい良かった。後悔のない投資だった。

さて、第二幕のタイトルは「四人の証明」、個人的タイトルは「静かな悪魔、平穏の一欠片」

 

・物語は第三章へノンストップで向かう。

タイトルは「犯人は二人」、個人的には「運命の前日」。

・ミルヴァートンのお願いは、正しく脅迫でした。

はじめに見た時は席の都合上見えにくかったけれど、ハドソンさんの入れたお茶にタバコ入れたんかい。ジョン君怒るわそりゃ。ラスキンは原作通りお水かけてるし。。ミルヴァートニアさんだからな。。彼ほどピュアに感情を向けられる人いないのでは?気づけミルヴァートン、この人ただのいい子じゃないと思うのよ、あなたがいなきゃ死にそうなんだよね。部下は大事にしてね(時既に遅し)。

それに加えて、

・パンを踏むシーン。

2/3に見た時はここで心が死にましたね。これ以上精神的負担がかからないようにシャットアウトしてた。もちろん、後で無事解凍できたけれど。何回か見ているとこのシーンに耐性ができて、笑って見てたけれど。無論面白くて笑っているのではなく、滑稽だなぁと思いつつ。典型的なサディズムでありながら、私にはあまり耐性がないところだったから、ここのシーンのシャーロックの切り返しに拍手を送りたくなった。良くも悪くも「相手の意を完全には汲まない、かつ自分の意見を言うこと」は、相手のペースに飲まれやすい私には新たな解法になった。勿論、シャーロックは喧嘩売る気でいたんだろうけれど。アサーティブ(自分も相手も攻撃せず、中立に意見を言う手法)とは程遠いけれど、興味深い例。

 

・ジョンとの友情の歌。

すごく素敵でシャーロックらしい。相手のライフステージの変化に応じながら、関係性を深めていく。素敵な在り方だ。ここのシーンには現地でしかわからない裏話があるのだ。

・裏話

スイッチングだと機構の上にいる二人を映すから見えないけれど、現地ではこの会話の最後の方でウィリアムとアンサンブルさんが準備始めてるのよ。ここの寒暖差は本当に切なかった。シャーロック陣営の友情が暖められたすぐ後で、ウィリアムが見ているのは市民たちからの非難の声なんだもの。しかもその後の歌、「ああ、愛しき仲間たちよ どうか美しき世界で生きて」ってもう!ご自身が居ないカウントなのよ自分は地獄の業火に焼かれてる覚悟を持って、地上の悪魔の1として消えるつもりなんだ。なんて悲しいのだろう。

手前勝手に地獄の門を閉めようとしないの!と、ツッコミを入れられるまでに時間がかかった。ここのシーンのアンサンブルさんが持つ布はを表すのに、次のアルバート兄さんの歌ではがっつり業火を表す。音立てて旗めかせるから、アルバートの中にある自責の気持ちが業火としてその心を焼き尽くす。これから焼かれる弟と、現在進行形で自ら心を焼く兄との対比。

それでも、同じ業火で共に焼かれることのない様は地獄そのもの。

何より、「どうか、呪ってくれ」って優しさ通り越して激重感情投げらっしゃる!「呪」って漢字は1番上の兄弟が神様相手に願いを言う姿と口の形からできたらしい。このシーンほぼそのまんまなのよな。放たれるのが『まじない』ではなく『呪い』だからこちらの心にまでグッと重いモノがのしかかる。しかもウィリアムがアルバートを呪えないことは知っているはずなのに、気持ちを放っちゃうところがアルバートの自責の強さを伺わせる。本当にしんどい。原作だとだいぶ後のエピソードだけれど、このエピソード回収されるかな、Op.5で。回収されて欲しいけれど、時間が足りないような気もする。

 

と、だいぶしんどい話が続いたからここで一息。

 

・個人的に気になった、床の使い方。

モリアーティ陣営とシャーロック陣営、今回芝居中の立ち位置が黒床と床(一段上がったところ)になっていて、ここでも感じ取るところがあった。モリアーティ陣営が暗い場所を歩いていることとは対照的に、シャーロックは思考中でしか降りてこない。正に同じ地平で思考しているのかな。後は、ミルヴァートンと交渉している時くらいか。。。物語に影が差すときに使われている。

 

かと思えば、ノースクロスパークの時はバリアフリーな道として活用されていて、あらゆる障壁のない世界の暗喩にも使われる。シンプルな舞台構造に複数の意味が持ち込まれた上で、調和しているのがすごい。個人的には、「え、どこまで言っても彼らは段の上(普通の世界)で生きることはないんだね、しんどい。」と深読みしてぐさっときていた。もちろん階段を使うことはあるの、なんならバルコニーみたいなところも使うの。でもそこに陣営全員が一緒にいることはない。ホワイトリーとの対比構造に使われている時、それぞれが思いの丈を叫んでいる歌唱中も、みんな固まって同じ場所にいることはない。心は千々に乱れてるんだな。。方向性がずれていくバンドを見ているようで心ギチギチでした。

でもな、ここを乗り越えないとルイスの精神的独立のチャンスを逃すことになるからな。。最悪の場合、兄さん追いかけて自暴自棄担って死を選ぶ程度の想像はしていたよ。兄様たちの庇護と愛で守られて家の外を最低限かつ偏って見ている彼が、外の世界を生きて渡り歩く。元々のスペックが高い人でも精神的な支えを失った後で歩いて行くのは容易じゃない。ましてや生まれてからずっと一緒にいた人を失うのだから。。塞がらない穴が空いたまま生きていくんだぞ。生きた屍になっているルートあったと思うのよ。

必要な試練とはいえ、見ているだけで悲しくなってくる。心にこみ上げるものが多くて3日間は濁流になってたなぁ。

 

・楽器に触れる

まだ、Opus3だとウィリアムがピアノに触れたりして楽器と一体化して感情が紡がれることもあったからここまで意識していなかったけれど、今回はそれがなかったからな。お触り遠慮のピアノさんだったのか?気になる。

 

・ミルヴァートン別邸のシーン

最初からウィリアムいるのに表情見えない。。照明さんグッジョブすぎる。モリアーティ陣営で珍しくアルバート兄さんが殺陣やってる!Twitter有志の方が「アルバート兄さんは足技繰り出しているよ!」と呟いていたおかげで2回目以降は足技も見られました最高すぎる!

アルバートはあまり荒事に出てくる印象はなくて。計略と心理戦で出てくる印象があったけれど、さすが久保ヒデさん。かっこよすぎん?なんならルイスが目の前で殺陣しているのに、全く視線合わない三つ巴が面白い。まるで《そこにいるのに違う世界を生きている人たちの邂逅》を見ている気分。

 

それでいて、本筋である三つ巴の心理戦も動く。ミルヴァートンからすれば完全勝利なんだろうな。読み違えることも含めて誘導かけられるウィリアムの仕事が光る。正にジョハリの窓で見える盲点だ。本当に美しい。そして、ミルヴァートンから語られる状況説明を理解してるから省略したいのに最後まで聞いた上での「終わりか?長えよ。」がもうね、たまらん!ミルヴァートン劇場の終幕であり、2人の物語の始まりが、「ああ、犯罪卿お前が〜 俺の思うお前だったなら〜」を転調してお出しされるんですよ!?あの場の回答として最適で最短を出してくるシャーロックにグッジョブしか浮かばん!!

しかもこの土壇場で確認することが「リアムの望み」って、ジョン君で実績解除した友情をここで使うか!大事にしたい人がどんどん増えるシャーロックだからこその葛藤だしな。。彼の信念が曲がる瞬間を目撃するのがジョンではなくウィリアムなのも、手を緋色に染めることも同じ目線に立つ手筈が整いすぎてて、、いずれは殺人を犯させる気でいた(なんならそれはウィリアム自身を殺させる気だった)としても、どこまで誘ってるんですかウィリアムさん!

 

・最後のソロ曲

ここでも、「あなたの心に風を届けた人に、命の灯火を消させんでくれ頼むから!」と「ここまで抱えて来た罪と穢れを細部まで読み通して伝えてくれる力があるシャーロックにこそ、凍えたこの身ごと跡形もなく消し去るのにはふさわしい」ってアンサーが聞こえてきそう。

地獄の業火で焼かれる前に、跡形もなくとまでは言ってないけれど、「君に焼かれるなら本望」というか。とてつもなく大きな感情が出て来ていて、すごく好きでした。

それに対するアンサーとも告解とも取れるシャーロックソロ曲は、同じ空間にはいないんだけれども、ウィリアムが舞台のセンターに残ったまま始まって、微笑み浮かべて去っていくの。シャーロックにとってはなているウィリアムに見えたんだろうか、それとも微笑みを浮かべて話す人に見えていたんだろうか、気になるけれど。あのソロ曲の後にうずくまったまま芝居続行してる鈴木さんすごいわ。どうやって毎回気持ち切り替えてたんだろう。知りたい。

けれど、「お前の心捕まえてやる」はシャーロック1人だけになる。雑踏の中にいるシャーロックは現在地なんだろうな。この時のウィリアムへの思いが歌詞を重ねるごとに大きくなっているのが肌でわかった。だからこそ、次の曲は大きな布石になる。

・運命の馬車は行く

最後になるのに2人のデュエットは感情のぶつけ合いになっててこの2人、ひいてはロンドンの街全ての運命を司る手綱は誰が握っているんだろうと、握る人への注目が高まった。

この曲、2人以外の肩が口ずさむ歌詞は、「wheel派」と「carriage派」がいそう。公演当時のTwitterでは歌詞起こししている人をよく見かけてたが、軒並みwheelだった。私はcarriage派だ。車輪って歌詞でも出てるから最初そうだと思っていたけれど、carriageにすると、手綱を引く人に気付けるメリットがつくんだよ。。。Op.5へのつながりを持ちやすいからこっちを推す。あとな、モリアーティ陣営にはいつだって御者の仕事している方々がいるじゃないですか。。。そこに引っ掛けたのかなとか勝手に妄想膨らませてます。。(こういうの大好きな性分でして。2/12の昼公演はまだチェックしてないので、勘違いだったらお恥ずかしい。)

 

 

 

結論:我の心は限界ぞ!

Op.5まで妄想の自家発電して延命することとする!お金ない!でも楽しかった!なんならお金稼いで貯めるモチベになった!臨時バイトで稼ぐぞ!修士課程頑張るモチベにはならないけれど、人生を楽しむモチベにはなった!

リエゾン第三話 感想レポ 当事者からの視点

発達障害グレー当事者による感想レポ。見ながら書き上げるため、箇条書き。

 

序盤

・話したいことがたくさんあって止まらないんだな。周りの人が困ってても気にせず続けられる。お母さんの「すみません」は今日もジンとくる。疲弊しているのがよくわかる。

・お父さんの反応がどこか他人事で、一緒に育児期間を戦い抜く戦友と感じられないことが悲しいのだろうか。『私ばっかり気を回して疲れ果てている』そんな心境が聞こえてきそうなこのシーン。お母さんが抱える孤独を映し出している。

 

発達障害と診断されないからこそ、たくさん悩まれてきたのだろうな。グレーゾーンの子どもも大人も共通してつらいのは、”確定診断がないために普通の生活ができるかもしれない幻想”を抱えていくほかないということ。どっちとも区別がつかないからこそ、このはざまで苦しむことは多い。「あなたは障害者ですから、障害者の世界で生きてください」と言われたほうが制度上楽な場面はまだ残っているからこそ、しんどい。確定しない苦しみは白黒はっきりさせたいASDの人には苦しい。

 

・療育のシーンも監修が入っているのだろうか。私は受けたことないからわからない。大人用の療育が切実に欲しい。SSTソーシャルスキルレーニング)が代わりになるのかな。

家で実践しているのはすごいな。この努力を親が積み続けていること、ちゃんと社会側も理解をしていかないとな。不用意に心を殺せるぞ。

 

序盤で気になったのは、

①お母さんが、「普通を求めている気持ちが大きくなっている」

療育練習中に中断することは、そんなに怒ることなのか?逆上がりの練習だって時間かかるでしょうに。なんだか、お母さんの心を鎮めるために療育が利用されてないか?

②お父さんが、何気なく言っている言葉がお母さんの琴線にガンガン触れている。お母さんの気持ちを理解できていないのでは?

 

中盤20分

・ストレートにモノ言っても子供なので許されそう。

・ひとりで外出たのか。。お母さん方誰も気づかないのか。。私もやりそうだ。。

・佐山先生の視線のつきかたが、まじその通り。「まじでどういうこと?」なのよね。

それでいて、ルールはしっかり守る。だからこそ、たくさん聞きたい志保先生からすれば、困っちゃう。聞かなかったのはOK。

・お兄ちゃんたちが一緒に遊んでくれなかったのは、「知らない子」で「自分たちのしている空間を邪魔されたから」?

多分小学生だよな。小学生の低学年って知らない子と一緒に遊ばないんだ?まあ、邪魔されたら子供でも嫌がると思うが。

このシーンだと、「希ちゃんが相手の知らないルールを押し付けている」ともとれるしな。。これはやきもきする。

 

・佐山先生の回想シーン

おばさんがやった、佐山先生の視点を切り替えさせる伝え方。うまい。名前を呼べば、ちゃんと伝わる。佐山先生は言われたその時にはわからずとも、きっと時間を変えて理解することだってあるよな。

 

・希ちゃん濡れて帰ってきたか。近所の人が見つけてくれたのはナイスすぎる。

 

<気になるポイント>

・お母さん、ずっとお母さんの視点でしゃべってて希ちゃんの視点まで降りてこれていない気がするんだけど、気のせい?ずっとしんどいからこそ、余裕もなくなってる。

 

終盤

・「いじめや不登校から守れる方法は、まだいろいろある」。多分、この言葉に救われた人、いそう。

・教育の現場で子どもと向き合っているひとたちからすると、「環境を変えたほうが、この子のためになりそうだ」と思える出来事に出くわすことあるんだろうな。でも、親側が普通の檻に囚われていると、気づけないことが多々ある。こうしたことが繰り返されることで、子どもはどんどん傷ついていくのに。

・佐山先生の最後の台詞

障害と普通ってこんなにも棲み分けていくものだっただろうかと、やはり思う。

当たり前も普通も、人間がその場で作ったものだろうに勝手にとらわれている。思考停止して吐かれるそれは、一体何の意味がある?

 

それこそ「いじめられませんように」って願いは当初疑問だった。これは不用意に傷つく経験を減らせますようにってことでいいんだよな?ちょっとここは漠然としていて、頭にはてなが浮かんだ。

明確に違うと認識できる相手には、支えようとかって発想になるのに、一目見ただけでは違うと認識できない相手にはアイデアすら浮かばないんだな。「自分と相手がほぼ同じ」であることを想定した関わり方がまだ残っている証。これは「みんなそれぞれの立場や環境があるから、そこを認めたうえで今の状況を解決する方法を一緒に模索しよう」って発想がないんだな。めんどくさいだろうし。

 

この【めんどくさい】のツケ、今の世代で払っておこうぜ。

国債と一緒だ。つけるだけ増えるぞ。やれる範囲で減らしていきたい。私の10年後の代から療育を受けた子たちが大人になって上がってくるんだぞ。あいつらにぬくぬくさせてやりたいんだ。こんな厳しい北風を受けるのは今の20代で最後にしたいんだ。

当事者も少しずつ変わっていかなければならないけれどさ、それは普通の型に押し込んで変えるんじゃないと思う。私たちが私たちとして生きていくために変わる程度でいい。

自分たちの生活をより良いものにするための行動が、この先も続く。そんな程度でいいんじゃないかな。きっと10年後には療育をがっちり受けた代が声をあげてくれるでしょ。

リエゾン 第2話感想レポ

観ながらレポを書いているため、箇条書き。

序盤20分まで

・志保先生の遅刻ギリギリ感、大学の1限に滑り込む私そっくり。

さすがに桁間違えて高額な買い物はしたことないけれど。

 

・今回出てくるお家は、お父さんがうつ病でお母さんが精神疾患を患ったのち自殺。娘さんはお母さんのまねごとをしながら食いつないでいる生活。

 

お父さんが着ていたスーツに違和感がある。左胸あたりが擦れていた。もし、お父さんが健康な状態なら気が付いているものだと思う。

あと、精神疾患系の薬に即効性はない。効果を自覚するのに、だいたい3週間から4週間かかると言われている。つまり、薬の効きが悪いか飲んでいない。

 

娘さんが足をばたつかせているのは、別の要因がありそう。

 

中盤20分

・こどもがお酒を万引きすることを志保先生は次のように考察した。

→こどもなりのSOSで、「父親と一緒にいたくない意思」の表れ

私は疑問。心の底から一緒にいたくないのか、自分が学校に行ってもいいくらいお父さんが回復することを望んでいるのか。その違いは大きな差になるのではないか。(ここ、あまり触れられてなかったな。自分の意見を言うのが苦手なASD傾向の私だと、一回で自分の意見を伝えられないから、すごいと思う。)

 

・お父さんの疾患では、普通の人でもパートナーが関わってもしんどい。フォローしている側は必ず心のフォローを受けてほしいくらいしんどいものだ。じぶんの思った通り、相手が回復してくれるわけではないから。こどもはそのフォローの仕方を知らない。だからこそ、事前介入が必要。なかなか難しいけれど。

 

・児相が事務的に淡々とした関わりをしてしまうのは、激務故に想像がつく。けれど、大人がケンカしている姿ほど、子供は見たくない。聞こえてくるだけ嫌なものだ。だったら自分が我慢すればいい、と思うのではないか。

 

終盤20分

・お父さんに今の生活環境が劣悪であることを「虐待」の二文字でしっかり伝えるのは、ナイスな判断だと思う。実際2004年から虐待防止法面前DVを含めた心理的虐待、2000年からネグレクトは虐待に含まれる。お父さん自身は、病気の影響で今の状況が正しく判断できる状態じゃないから、こういう宣告を医師や臨床心理士が担当することも珍しくないのかもしれない。教員は多分ここまで言ってしまうと立ち入っていると判断されそう。あくまで学校のことを観察し、尽力する人だし。

 

・お父さんが娘さんの一言で決心を固めたシーン。個人的には、「自分も治療しなきゃ」というニュアンスで受け止められてよかった。これが文字通りの受けとりをする私には、「え、このお父さん自殺しないよな?娘からの一言で自分の存在が不要だと思ええてないか」と気になった。

 

・児相の方の努力は正直人間のキャパを超えている。なかなか落ち着いて話もできないなら、余計につらいだろう。それぞれができることをやっているが、もっと人手はほしいだろうな。

 

個人的な気になるポイント

”お父さんのそばについていないと、お父さんがいなくなってしまうかもしれない”ことは、”お父さんが治療に専念せずにうなだれている姿を見せる”ことの免罪符になっている状況だったのではないかと推察する。

手厳しいことを書くと、本来精神疾患から回復するにあたって、自分の人生のかじ取りは自分でできるようになることは回復のステップの一つだ。もちろんまったく舵に触れられないくらいしんどい期間もあるし、双極性障害の場合は「治ったと思ったら躁の時期だった」なんてことがあるらしい。今回のお父さんならスーツを着て病院を訪れていた時期なのだろう。だけれど、服薬のコントロールができていない状態は自分自身がコントロール不能になっていることを指すから、その時点でほかのことができるわけがない。仮にできていると思ってても、結構抜け漏れがあったりする。

特に育児ならなおのことだろう。まだやったことはないけれど、自我のある人間と時に繊細なほど丁寧に、時に大胆に関わる長期継続型のハードな仕事だ。それも年齢や環境によって伝えることや関わり方すら変化する、最高難易度の長期クエストと書けば伝わるだろうか。その中で懸命に育児をされている方ももちろんいるから、ご自身のこともコントロールしつつ、自我を持った他人の世話までやるなんてハードモードすぎて頭が上がらない。

だからこそ、もっと周りを頼ってほしい。しかし実際は、頼りがいのない国と法制度である。完全とはいかなくても、すぐに解決とはならずとも年単位の時間をかけて改善していけることを願う。

 

あと、私自身も回復中の身の上だからこそだけれども。大切な人が亡くなったり、存在が失われた時に寄り添ってくれるひとがいてほしいとは思う。誰だって病気スレスレを生きていることを忘れずにいたい。元気なふりをしていても、そうでもないかもしれない。

 

あとあれだな、診断名をつけておしまいにするのではなく、できれば経過観察をしている数年後の子供たちの話をメインにした回があることに期待する。当事者の多くは、今を生き残ろうとする戦士なもので。ぜひとも参考にしたい。

リエゾン第一話 ドラマ感想レポ

リエゾンーこどものこころ診療所ー』ASDグレーゾーン当事者としては気になる。当事者と精神科医が監修しているドラマだからこそ、どのくらい当事者の声が反映されているのか、はたまた忖度されているのか。気になった。

 

総評

全員救うのって難しいですね。こどもも親も。一緒に救うのは別々のアプローチが必要で、それでいてこどもはまだ自分の意見を言える力がない。だからこそ、親も手探りで毎日戦っているsoldier(戦士)なんだと思う。

 

気になった点

・診察の順番が守れない子に、看護師?が「もうちょっと待っててね」と言うのはいかがなものか。最初は待てても飽きる可能性はある。

→お母さんの説明だと興味の移り変わりが激しいんだろうな。確かに大変だ。周りも本人も。あと、看護師さんじゃないんだね。臨床心理士さんと兼業しているのかな?

 

私は成人しているので、大体受付する際に「患者が何人待っているか」を尋ねることが多い。そうすれば、大体の待ち時間が予測できる。それによって買い物を挟むこともあるし、カフェでリラックスしたり先生に伝えたいことをまとめる時間にできる。

 

・佐山先生がリュック落としたシーンでびっくりしているのとか、わかりみ深い。私も子供のころは固まったり、びっくりして声をあげたりしていた。大人になるにつれて、反応をわざと小さくしたり、無反応のふりをするようになった。けれど、驚き具合はほとんど変わらないから、無理をしている。クールな人を演じているイメージ

 

・原作の中で出てくる教授はヒロインの特性を見抜いたうえでさやまクリニックに行くようにこっそり指示を回していた。これは教授が仕事としてヒロインに関われる最大限だったのだと思う。(こういう厳しい人は、事情を喋ってくれないと当事者はわかりにくいぞ。)

ASDの男の子とそのお母さんがケンカしてるシーン。「絵を見られたのが嫌だった」のではなく、彼にとって「見せていいタイミングがある」んじゃないかな?本人なりのルールになっててそれが彼にとっての鎖になってる。

的中!お母さんから絵を見せていいタイミングの指示があった。お皿洗いのふとした瞬間に言った言葉だから忘れているのも無理ないと思う。忙しいならなおのこと。

サイレン音を聞いて調子を崩すのは、確かに日常生活大変だと思う。かんしゃくの対応するっていったってひとりじゃきついでしょうに。。交代交代で彼を看てあげられる状況を作ったほうが、育てる側の負担が減りそう。その分、お母さん一筋な子だとつらいかもしれない。

この男の子は写実描写が上手にできる。恐らく写真みたいに静止画で記憶しているか、動画のように少し動く絵のように記憶しているんだろうな。よく情報量で混乱しないなぁ、と勝手に思う。

絵のエピソードからして、誰かの言ったことや表情の記憶をずっと持ち続けているようで手放すことが苦手なんだろうな。うまく切り替えられると楽になると思うが、育っていく過程で手に入れるモノなんだろうか?

 

「あなたの視点が子供たちを助ける」と佐山先生は言っていたけれど、このドラマの中ではそうだろうね。

一般社会でこうなるには、当事者が乗り越えていかないといけない壁がたくさん出てくるぞ。伝えるタイミングや伝え方が下手ならせっかくのスキルが光らない。これはスキルを磨くとともに、スキルを磨くことに協力してくれる周りの人がいないと成立しない。

このドラマで当事者の周りの人が協力してくれるほど軟化することを願うが、気持ちが楽になる程度だとしても、当事者にとっては心強いのだ。

「構造が実は好き」な話。

お題「〇〇が実は大好きです!」

に乗っかってみる。

 

構造。私にとっては“理論や概念の骨組み”のこと。オタクの一部には「関係性が好き」なタイプがいるが、関係性は構造の一部だからちょっと感覚が近い。私の場合は人間だけに留まらず、概念も含む。

 

例えば刀剣乱舞。このコンテンツは今や経済効果を生むほど、あちこちで聞こえてくるようになった。ただ、その原案ゲームは非常に素朴である。登場人物と関連人物との小話、戦闘衣装と内番衣装(≒部屋着)、軽装衣装(浴衣や着流しなど)の情報程度。

原案ゲームとメディアミックスで共通しているのは、

・ゲームプレイヤー(≒審神者、さにわ)

審神者により励起される付喪神(≒刀剣男士)

の存在と、

・歴史を変えようとする勢力『歴史修正主義者』

・実働部隊「時間遡行軍」

の存在のみ。

あまりに簡素である。

簡素過ぎて盆栽ゲームと呼ばれるほどである。しかしこのシンプルさは、長くコンテンツを運用する上で重要であり、これ以上削ってしまうと面白みが半減してしまう絶妙なラインを保っている。

 

この導入時の負担の少なさは、あらゆるジャンルとのコラボレーションを実施する際のフッ軽さにつながっている。元となる刀剣の生まれ故郷や持ち主の故郷にまつわるグッズが欲しいニーズを読み取れば日本酒メーカーとコラボするし、元になる刀剣が現存していれば所持管理をしている団体が周辺の自治体を巻き込んで展示会を開き、町おこしの話題には事欠かない。

 

一方で重厚な物語が欲しいニーズには、アニメや映画、2.5次元の舞台やミュージカルがおすすめだ。今年は歌舞伎にもなるそうだからきっと新規の客層が増えることだろう、と期待する。

 

ただただ好きなキャラクターを愛でていたいニーズには、キャラクターグッズのみならず「近侍曲」というキャラクターモチーフの楽曲を聴くのも楽しいだろう。推しキャラ以外の曲が聴きたくなったら宴奏会に行ってみることをお勧めする。

 

五感を刺激して、ありとあらゆるコラボレーションをする刀剣乱舞。それを支える原案ゲームは非常に素朴で過不足ない情報提供をしている。全ての指揮をとっているであろうnitroplusのでじたろうさんには頭が上がらない。

ゲームの新しいOPムービーは現代と絡めたものになっている。ゲーム本編の第二章が始まっている証といえる。

 

もはや刀剣乱舞が好きな話になっているが、次は数学の話にしよう。私の人生の核となるものでもある。

1番構造が見えないものでもある。けれど、適切な知識があると全く違う景色が見える。

それを教えてくれたのは「数学ガール」という小説だった。

www.hyuki.com

 

特にオメガのワルツの話は驚きだった。最初に読んだ時は中学生ゆえに複素数の話の細かいところはわからないけれど、ただの点を集めた表だと思っていたものが、実は

x^3 -1=0の解を表していたとは。しかもこの解はそれぞれ3乗すると1と等しくなることに、高校生の時に気づいて衝撃を受けた。

 

例えば高校までの数学の知識は具体例をなぞったもので溢れている。もちろんそれはその後に学習する大学の数学ではこの知識を使って具体例を計算するためにとても有効。けれど、大学より前に学習を終えてしまう人からすればこんな楽しみ方を学校では教えてくれない。これは構造というより新たな視点の話だけれど。こんなこともある。

 

大学で学ぶ数学では時たま、異なる分野同士のはずが似た論理展開になっていることもある。《同じゲーム会社から出ている別々のゲームの攻略方法が似ている》イメージだ。これがあるだけで、知らない話をされていてもなんとか喰らいつくことができるのだ。もちろんあとで復習してたっぷり美味しいところを味わうのだが。こんな時、知識でできた構造がとても好き。

 

他にも観劇して、舞台の“お話の構造“、キャストたちの“導線の流れ“、会場で観客たちを誘導する“プロフェッショナルの方々の動き“。私はこのどれもが大好きで、これを拝むためにチケット課金している口だ。珍しいかもしれないしちょっと変態かもしれない。自覚はある。練られたものであればあるほど美しさは増す。場当たり的でもうまく噛み合っていればきっといいのだと思う。ここがうまくいっていないと大抵チームワークがうまくいってないことがあるので本編に影響することがある。いやだけども。

 

徒然と書いてきたので、今回はここまで。