Rin_Mikageのブログ

気ままに。思考は自由に。

リエゾン 第2話感想レポ

観ながらレポを書いているため、箇条書き。

序盤20分まで

・志保先生の遅刻ギリギリ感、大学の1限に滑り込む私そっくり。

さすがに桁間違えて高額な買い物はしたことないけれど。

 

・今回出てくるお家は、お父さんがうつ病でお母さんが精神疾患を患ったのち自殺。娘さんはお母さんのまねごとをしながら食いつないでいる生活。

 

お父さんが着ていたスーツに違和感がある。左胸あたりが擦れていた。もし、お父さんが健康な状態なら気が付いているものだと思う。

あと、精神疾患系の薬に即効性はない。効果を自覚するのに、だいたい3週間から4週間かかると言われている。つまり、薬の効きが悪いか飲んでいない。

 

娘さんが足をばたつかせているのは、別の要因がありそう。

 

中盤20分

・こどもがお酒を万引きすることを志保先生は次のように考察した。

→こどもなりのSOSで、「父親と一緒にいたくない意思」の表れ

私は疑問。心の底から一緒にいたくないのか、自分が学校に行ってもいいくらいお父さんが回復することを望んでいるのか。その違いは大きな差になるのではないか。(ここ、あまり触れられてなかったな。自分の意見を言うのが苦手なASD傾向の私だと、一回で自分の意見を伝えられないから、すごいと思う。)

 

・お父さんの疾患では、普通の人でもパートナーが関わってもしんどい。フォローしている側は必ず心のフォローを受けてほしいくらいしんどいものだ。じぶんの思った通り、相手が回復してくれるわけではないから。こどもはそのフォローの仕方を知らない。だからこそ、事前介入が必要。なかなか難しいけれど。

 

・児相が事務的に淡々とした関わりをしてしまうのは、激務故に想像がつく。けれど、大人がケンカしている姿ほど、子供は見たくない。聞こえてくるだけ嫌なものだ。だったら自分が我慢すればいい、と思うのではないか。

 

終盤20分

・お父さんに今の生活環境が劣悪であることを「虐待」の二文字でしっかり伝えるのは、ナイスな判断だと思う。実際2004年から虐待防止法面前DVを含めた心理的虐待、2000年からネグレクトは虐待に含まれる。お父さん自身は、病気の影響で今の状況が正しく判断できる状態じゃないから、こういう宣告を医師や臨床心理士が担当することも珍しくないのかもしれない。教員は多分ここまで言ってしまうと立ち入っていると判断されそう。あくまで学校のことを観察し、尽力する人だし。

 

・お父さんが娘さんの一言で決心を固めたシーン。個人的には、「自分も治療しなきゃ」というニュアンスで受け止められてよかった。これが文字通りの受けとりをする私には、「え、このお父さん自殺しないよな?娘からの一言で自分の存在が不要だと思ええてないか」と気になった。

 

・児相の方の努力は正直人間のキャパを超えている。なかなか落ち着いて話もできないなら、余計につらいだろう。それぞれができることをやっているが、もっと人手はほしいだろうな。

 

個人的な気になるポイント

”お父さんのそばについていないと、お父さんがいなくなってしまうかもしれない”ことは、”お父さんが治療に専念せずにうなだれている姿を見せる”ことの免罪符になっている状況だったのではないかと推察する。

手厳しいことを書くと、本来精神疾患から回復するにあたって、自分の人生のかじ取りは自分でできるようになることは回復のステップの一つだ。もちろんまったく舵に触れられないくらいしんどい期間もあるし、双極性障害の場合は「治ったと思ったら躁の時期だった」なんてことがあるらしい。今回のお父さんならスーツを着て病院を訪れていた時期なのだろう。だけれど、服薬のコントロールができていない状態は自分自身がコントロール不能になっていることを指すから、その時点でほかのことができるわけがない。仮にできていると思ってても、結構抜け漏れがあったりする。

特に育児ならなおのことだろう。まだやったことはないけれど、自我のある人間と時に繊細なほど丁寧に、時に大胆に関わる長期継続型のハードな仕事だ。それも年齢や環境によって伝えることや関わり方すら変化する、最高難易度の長期クエストと書けば伝わるだろうか。その中で懸命に育児をされている方ももちろんいるから、ご自身のこともコントロールしつつ、自我を持った他人の世話までやるなんてハードモードすぎて頭が上がらない。

だからこそ、もっと周りを頼ってほしい。しかし実際は、頼りがいのない国と法制度である。完全とはいかなくても、すぐに解決とはならずとも年単位の時間をかけて改善していけることを願う。

 

あと、私自身も回復中の身の上だからこそだけれども。大切な人が亡くなったり、存在が失われた時に寄り添ってくれるひとがいてほしいとは思う。誰だって病気スレスレを生きていることを忘れずにいたい。元気なふりをしていても、そうでもないかもしれない。

 

あとあれだな、診断名をつけておしまいにするのではなく、できれば経過観察をしている数年後の子供たちの話をメインにした回があることに期待する。当事者の多くは、今を生き残ろうとする戦士なもので。ぜひとも参考にしたい。