Rin_Mikageのブログ

気ままに。思考は自由に。

モリミュ op4観劇するよ!

モリミュ。それはミュージカル『憂国のモリアーティ』のこと。バイオリンとピアノと人間の声で奏でられる楽曲で織りなされるのは、国を憂いた青年が作る完全犯罪。そして、完全犯罪を暴こうとする青年が手繰り寄せた先にあるものは?

 

かねてから観たいと思っていた作品。何より、主人公のウィリアムが好きでずっと観てられる。ウィリアムは代数の分野、私は幾何学の分野で数学を扱っている身ゆえに、創作と現実の境を無視すれば、研究者の大先輩ともいえる。なかなか違いすぎて理解が及ばないことも多いが、共感できるエピソードはほかの作品より多い。高校生なら二項定理を実際に使って計算することもあるだろうから、もっと親しみが持てるんじゃなかろうか。

と、ここまで憂国のモリアーティへの思いを語ってきたけれど、それでも懸念点が残ったままだったのである。大まかに分けると3つあった。

 

キャストの問題

まず、キャストの問題。これは作品を観る以上切り離せない点。19世紀末。近代的な発展の途中でありながら、まだまだ貴族社会が色濃く残る時代。それをミュージカルで表現する場合、歌唱力と演技力、その場の音に合わせた表現力が必要。一般的な2.5次元作品は事前に音楽が作られている。DTM的な楽器音も混在していることが多い。こちらだと、多少歌唱力に自信がなくてもメロディーラインを斉唱することが多いから耳がいい観客以外には全くわからない。

ところが、モリミュは楽器の生演奏になっている。そして人間の声が必須の楽曲構成になっている。欠けてはいけないのだ。つまり、あのミュージカルに出ている役者さん演奏者さんは、とても上手な人でないと務まらないのだ。ここがごまかされていないかをずっと気にしていた。YouTubeゲネプロ映像やLODが出るたびに何度も聞いていた。

 

そしてつい先日、過去作品のアーカイブが有料配信サービスで公開されたのを機に見てみた。感動した。ここまで美しいものを観たことがなかった。やっぱり、こうでなくては。何かに妥協しながら見る作品はどうしても身体の隅々まで満足が行き渡らない。モリミュはむしろ至福を届けてくれる。今の私と相性がとてもいいのだろう。

そういった作品を届けてくれる筆頭にいるのは、鈴木勝吾さんなんだろう。抜けていく声に鳴り響く声。すべてが美しい。絶対ファルセット使えそうな音域、たいていの女性が裏声のところを、地声で行くんか~い(笑)「これは負けてらんないぞ」と謎に闘志を燃やした私はMrsGreenAppleの「僕のこと」がようやく歌えるようになりました。ありがたや。鈴木さんがどんな発声してるのか、「ひりひりとひとり」を二回観に行ってもつかめなかったけれど、身体に響かせている場所を探ったりしていたら会話の声が通りやすくなった。きっかけが特殊だけれど、今ではカラオケが楽しい。話すことに抵抗がなくなったから嬉しい。

 

鈴木さんの出会いは薄桜鬼だったけれど、薄桜鬼で共演していた久保秀さんはガリレオシリーズで最推しと共演しているので存じ上げていた。井澤さんは2代目の土方さんで、赤澤さんはおそらくYouTubeチャンネル「ぼくたちのあそびば」に出ていたし。平野さんは最遊記歌劇伝Godチャイルドでてたし。癖のあるシャーロックだとは思ったが本編観ると納得しかない。YouTubeだと違和感を覚えたけれど、多分一連の流れを切り抜いているからかも。メンタル病みまくってたんだろうなぁ、リアムに出会えてよかったね、本当に。レストレードさんはどこ行ってもはまり役だねぇ。ニッチなところを開拓されている。ある種の商売人魂が伺える。

 

そして、それ以外のレギュラーメンバーの方は、全員初めましてだったのだが、ルイス役の山本さんの「兄さん、兄さん」がガッチガチのブラコンで原作そっくり。きっと原作第一部の最後のほうになったらこのセリフ聞けなくなるから、今回たっぷり聞くことにします!

ワトソン君の鎌苅さん、好青年すぎて詐欺にあったりしないんだろうか。ハドソンさんが心配するのよくわかる。この二人の掛け合い大好き。ハドソンさんは特にop2でアイリーンとの掛け合いもある。勝手に「シンデレラ戦争」と呼ばせてもらってる曲。ものすごくテンポが速い!何より歌詞が台詞そのもの。この歌に出てくるデビルとドレスの女性たちは皆さんアンサンブルの方だが、毎回毎回自分の出ているシーンが別人で混乱しないのかなと思うくらい切り替わってる!

アイリーンは後々、別人になって登場するけれどこれもまた素敵。別人になっているときは男性音域、アイリーンの時は女性音域できれいに使い分けている。素敵すぎる。こんな風に使い分けられたらいっそ爽快だと思う。

 

op3から出てくるジャックさんもなかなか素敵なオジサマである。ウィル坊と呼べる唯一の人ではないだろうか。いいなぁ、年上の特権!!うらやましい!!

パターソンさん演じる輝馬さんは薄桜鬼で今度主演を務める!嬉しい!でもそこには鈴木さんいない!私は歌うまのバトルが一番好物でして、斎藤一編素敵でした!ぎゃ!!

彼のパターソンは本当に井澤さんのモラン大佐と相性良さそう。でもレストレードが自身のお酒を飲ませようとして拒否ってたところはパターソンだと思う!「俺は乗らないぞ」みたいな。「お前ひとりでつぶれてくれ」みたいな突き放し。大事大事。

 

そして藤田玲さん演じるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァ―トン。とある作品の「しるこくれ!」とはまるで違う。極悪人。悪を煮詰めて三千年みたいなキャラクターを演じてらっしゃる。この方に任せたい。この人の性格があるから二人の物語が加速していくのだけれど、やっていることに抜け目がなくて、「こんの、ミルヴァ―トン!!」と、思ってしまう。

 

とキャスト陣はとても素敵でした。さて次は構成の問題。

 

〜構成の問題〜

と一口に言うが、要は『話の内容の緻密さが原作と大きく乖離せずに調和を保っているか』である。

これは、どうしても2.5次元作品である以上、原作を忠実に再現してほしい観客側と、原作エピソードをすべて盛り込むことは時間の制約上不可能なことと戦っている脚本演出側で対立構造になりやすい。そこで必要なアイデアは、「いかにして原作と時間経過が異なるエピソードをほぼ同時に、かつ矛盾なく入れられるか」になる。

薄桜鬼では原作ゲームのスチル(特定のストーリー分岐の際に現れる、表情差分のある絵を含むストーリー)をできるだけ多く取り込みつつ、原作の大筋である【幕末の動乱と明治維新の時代変化のうねり】を観客が追体験できることにある。もちろん恋愛ゲームが原作だからこそ史実で生き残る登場人物が亡くなったり、その逆も起こりうる。このアイデアだと、どうしてもカットせざるを得ない小話がそれなりに出てきてしまうが、それを役者の技量でカバーすることが要求される。

 

これに対してモリミュでは脚本の段階で表パートと裏パートに分かれて話を同時に進める。op1ではダブリン男爵の死亡事故のシーンで、三兄弟の結束の話が語られるし、op2では犯罪卿ゲーム中に亡くなるロリンソン男爵と、同時刻に男爵所有の劇場で秘かに実行された計画を破綻に追い込むモランがかつての部下と再会するシーンの2つ。さらにop2はアイリーン・アドラーの件があるので実質3つの話が同時進行している。もともと原作の流れがそうだったからこそ、このいくつもの話を同時に進めることができるし、途中から加わったキャストも事情が理解しやすいのではないだろうか。ある意味ユニバーサルな脚本といってもいいだろうし、それを劇にかかわるすべての人が理解して臨まれているように思えるほどに雑念がない。むしろきれいすぎるくらいきれい。寸分の狂いもないように見える。本当に美しい。

 

〜位置づけの問題〜

これは『そこで上演されるお話が、劇場の雰囲気や音響設備に見合っていて過不足がないこと』と『この公演に出演している役者の売り出し方』のふたつに切り分ける。

前者はスポンサーや興行主が担当する問題ゆえに、観客は選択の余地がない。しかし、明らかにストーリー上使用される設備や音響が見合っていないときは観客からでもわかってしまう。当然、繊細で些細な変化で伝わる音楽が変わってしまう作品に、変化に対応できない劇場は見合っていないと判断するし、配信設備も同様である。

今までほとんどの劇場はこの問題をクリアできているが、あるホテルの星の玉だけはクリアできていなかった。その時の作品は私の推しである鈴木さんが出演していたのだ。別劇場で配信するとなって、機材を積み直したのかと思えるほどに、メインで聞こえてくる音にばらつきがあった。明らかに演者のメロディーラインが大きく聞こえる状態で配信されているミスで、せっかくの舞台が台無しになった経験をした。これは二度と起きないことを願うほかない。公演アンケートにも書いたので適切な対応がなされていると思いたい。

後者は2.5次元作品を通して役者さんをアイドルのように売り出している作品があるため。アイドル的戦略の作品は、演技があまり上手じゃない役者さんも含めて起用されることが多い。もっとも場数が少ない新人の役者さんが来ることもあるが、ベテランを追い抜くことはレアで。温情を含んだ目で作品を観ることもあった。「これから伸びていくんだろうな。」って。

けれど、本来観客は観る作品を選べる立場。だからこそ、自分のお金と時間と感覚を一時委ねる場所は選びたい。流行っていることも大事だけれど、時間をかけて磨かれた技術を見抜けた時の高揚感が一番幸せだから。自分の感覚を捻じ曲げてまで見る作品はあまり好きになれないことも多いし、応援しにくい。きっと私よりも相性のいいお客さんのもとに席を用意されたほうが素敵だと思う。

役者がファンに出会いたい気持ちと同じように、観客も作品に出合いたい。

あとは、2年ほど推し活を続けていて私個人の課題がほとんど解決されていったからこそ心の余裕を持てたことと、活動資金を貯める時期になったから。

〜総括〜

というわけで個人的なお気持ちを含んだ葛藤の末、op4は観劇することを選んだ。一般発売の時期に差し掛かっていたから座席の位置に期待はしてなかったが、3階席だったのでオペラグラス確定。

東京公演の会場は銀河劇場。客席は円形で2階以上にはBox席がある。エンダース伯爵がウィリアムに指摘を受けるのはBox席。そう、実は2人の犯罪を目撃する構図はエンダース伯爵がお船の中で公開犯罪を行う構図に近いのだ。ただ、亡くなる相手の身分と生前の行いが真逆なので完全一致とはならない。

 

こんな美味しい環境と設定が一致してて、行かないわけにいかない!シリーズものは再演されないからこそ、これだけは見届けたい。

どうか、千秋楽まで走り切れますように。