Rin_Mikageのブログ

気ままに。思考は自由に。

モリミュ op4観劇するよ!

モリミュ。それはミュージカル『憂国のモリアーティ』のこと。バイオリンとピアノと人間の声で奏でられる楽曲で織りなされるのは、国を憂いた青年が作る完全犯罪。そして、完全犯罪を暴こうとする青年が手繰り寄せた先にあるものは?

 

かねてから観たいと思っていた作品。何より、主人公のウィリアムが好きでずっと観てられる。ウィリアムは代数の分野、私は幾何学の分野で数学を扱っている身ゆえに、創作と現実の境を無視すれば、研究者の大先輩ともいえる。なかなか違いすぎて理解が及ばないことも多いが、共感できるエピソードはほかの作品より多い。高校生なら二項定理を実際に使って計算することもあるだろうから、もっと親しみが持てるんじゃなかろうか。

と、ここまで憂国のモリアーティへの思いを語ってきたけれど、それでも懸念点が残ったままだったのである。大まかに分けると3つあった。

 

キャストの問題

まず、キャストの問題。これは作品を観る以上切り離せない点。19世紀末。近代的な発展の途中でありながら、まだまだ貴族社会が色濃く残る時代。それをミュージカルで表現する場合、歌唱力と演技力、その場の音に合わせた表現力が必要。一般的な2.5次元作品は事前に音楽が作られている。DTM的な楽器音も混在していることが多い。こちらだと、多少歌唱力に自信がなくてもメロディーラインを斉唱することが多いから耳がいい観客以外には全くわからない。

ところが、モリミュは楽器の生演奏になっている。そして人間の声が必須の楽曲構成になっている。欠けてはいけないのだ。つまり、あのミュージカルに出ている役者さん演奏者さんは、とても上手な人でないと務まらないのだ。ここがごまかされていないかをずっと気にしていた。YouTubeゲネプロ映像やLODが出るたびに何度も聞いていた。

 

そしてつい先日、過去作品のアーカイブが有料配信サービスで公開されたのを機に見てみた。感動した。ここまで美しいものを観たことがなかった。やっぱり、こうでなくては。何かに妥協しながら見る作品はどうしても身体の隅々まで満足が行き渡らない。モリミュはむしろ至福を届けてくれる。今の私と相性がとてもいいのだろう。

そういった作品を届けてくれる筆頭にいるのは、鈴木勝吾さんなんだろう。抜けていく声に鳴り響く声。すべてが美しい。絶対ファルセット使えそうな音域、たいていの女性が裏声のところを、地声で行くんか~い(笑)「これは負けてらんないぞ」と謎に闘志を燃やした私はMrsGreenAppleの「僕のこと」がようやく歌えるようになりました。ありがたや。鈴木さんがどんな発声してるのか、「ひりひりとひとり」を二回観に行ってもつかめなかったけれど、身体に響かせている場所を探ったりしていたら会話の声が通りやすくなった。きっかけが特殊だけれど、今ではカラオケが楽しい。話すことに抵抗がなくなったから嬉しい。

 

鈴木さんの出会いは薄桜鬼だったけれど、薄桜鬼で共演していた久保秀さんはガリレオシリーズで最推しと共演しているので存じ上げていた。井澤さんは2代目の土方さんで、赤澤さんはおそらくYouTubeチャンネル「ぼくたちのあそびば」に出ていたし。平野さんは最遊記歌劇伝Godチャイルドでてたし。癖のあるシャーロックだとは思ったが本編観ると納得しかない。YouTubeだと違和感を覚えたけれど、多分一連の流れを切り抜いているからかも。メンタル病みまくってたんだろうなぁ、リアムに出会えてよかったね、本当に。レストレードさんはどこ行ってもはまり役だねぇ。ニッチなところを開拓されている。ある種の商売人魂が伺える。

 

そして、それ以外のレギュラーメンバーの方は、全員初めましてだったのだが、ルイス役の山本さんの「兄さん、兄さん」がガッチガチのブラコンで原作そっくり。きっと原作第一部の最後のほうになったらこのセリフ聞けなくなるから、今回たっぷり聞くことにします!

ワトソン君の鎌苅さん、好青年すぎて詐欺にあったりしないんだろうか。ハドソンさんが心配するのよくわかる。この二人の掛け合い大好き。ハドソンさんは特にop2でアイリーンとの掛け合いもある。勝手に「シンデレラ戦争」と呼ばせてもらってる曲。ものすごくテンポが速い!何より歌詞が台詞そのもの。この歌に出てくるデビルとドレスの女性たちは皆さんアンサンブルの方だが、毎回毎回自分の出ているシーンが別人で混乱しないのかなと思うくらい切り替わってる!

アイリーンは後々、別人になって登場するけれどこれもまた素敵。別人になっているときは男性音域、アイリーンの時は女性音域できれいに使い分けている。素敵すぎる。こんな風に使い分けられたらいっそ爽快だと思う。

 

op3から出てくるジャックさんもなかなか素敵なオジサマである。ウィル坊と呼べる唯一の人ではないだろうか。いいなぁ、年上の特権!!うらやましい!!

パターソンさん演じる輝馬さんは薄桜鬼で今度主演を務める!嬉しい!でもそこには鈴木さんいない!私は歌うまのバトルが一番好物でして、斎藤一編素敵でした!ぎゃ!!

彼のパターソンは本当に井澤さんのモラン大佐と相性良さそう。でもレストレードが自身のお酒を飲ませようとして拒否ってたところはパターソンだと思う!「俺は乗らないぞ」みたいな。「お前ひとりでつぶれてくれ」みたいな突き放し。大事大事。

 

そして藤田玲さん演じるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァ―トン。とある作品の「しるこくれ!」とはまるで違う。極悪人。悪を煮詰めて三千年みたいなキャラクターを演じてらっしゃる。この方に任せたい。この人の性格があるから二人の物語が加速していくのだけれど、やっていることに抜け目がなくて、「こんの、ミルヴァ―トン!!」と、思ってしまう。

 

とキャスト陣はとても素敵でした。さて次は構成の問題。

 

〜構成の問題〜

と一口に言うが、要は『話の内容の緻密さが原作と大きく乖離せずに調和を保っているか』である。

これは、どうしても2.5次元作品である以上、原作を忠実に再現してほしい観客側と、原作エピソードをすべて盛り込むことは時間の制約上不可能なことと戦っている脚本演出側で対立構造になりやすい。そこで必要なアイデアは、「いかにして原作と時間経過が異なるエピソードをほぼ同時に、かつ矛盾なく入れられるか」になる。

薄桜鬼では原作ゲームのスチル(特定のストーリー分岐の際に現れる、表情差分のある絵を含むストーリー)をできるだけ多く取り込みつつ、原作の大筋である【幕末の動乱と明治維新の時代変化のうねり】を観客が追体験できることにある。もちろん恋愛ゲームが原作だからこそ史実で生き残る登場人物が亡くなったり、その逆も起こりうる。このアイデアだと、どうしてもカットせざるを得ない小話がそれなりに出てきてしまうが、それを役者の技量でカバーすることが要求される。

 

これに対してモリミュでは脚本の段階で表パートと裏パートに分かれて話を同時に進める。op1ではダブリン男爵の死亡事故のシーンで、三兄弟の結束の話が語られるし、op2では犯罪卿ゲーム中に亡くなるロリンソン男爵と、同時刻に男爵所有の劇場で秘かに実行された計画を破綻に追い込むモランがかつての部下と再会するシーンの2つ。さらにop2はアイリーン・アドラーの件があるので実質3つの話が同時進行している。もともと原作の流れがそうだったからこそ、このいくつもの話を同時に進めることができるし、途中から加わったキャストも事情が理解しやすいのではないだろうか。ある意味ユニバーサルな脚本といってもいいだろうし、それを劇にかかわるすべての人が理解して臨まれているように思えるほどに雑念がない。むしろきれいすぎるくらいきれい。寸分の狂いもないように見える。本当に美しい。

 

〜位置づけの問題〜

これは『そこで上演されるお話が、劇場の雰囲気や音響設備に見合っていて過不足がないこと』と『この公演に出演している役者の売り出し方』のふたつに切り分ける。

前者はスポンサーや興行主が担当する問題ゆえに、観客は選択の余地がない。しかし、明らかにストーリー上使用される設備や音響が見合っていないときは観客からでもわかってしまう。当然、繊細で些細な変化で伝わる音楽が変わってしまう作品に、変化に対応できない劇場は見合っていないと判断するし、配信設備も同様である。

今までほとんどの劇場はこの問題をクリアできているが、あるホテルの星の玉だけはクリアできていなかった。その時の作品は私の推しである鈴木さんが出演していたのだ。別劇場で配信するとなって、機材を積み直したのかと思えるほどに、メインで聞こえてくる音にばらつきがあった。明らかに演者のメロディーラインが大きく聞こえる状態で配信されているミスで、せっかくの舞台が台無しになった経験をした。これは二度と起きないことを願うほかない。公演アンケートにも書いたので適切な対応がなされていると思いたい。

後者は2.5次元作品を通して役者さんをアイドルのように売り出している作品があるため。アイドル的戦略の作品は、演技があまり上手じゃない役者さんも含めて起用されることが多い。もっとも場数が少ない新人の役者さんが来ることもあるが、ベテランを追い抜くことはレアで。温情を含んだ目で作品を観ることもあった。「これから伸びていくんだろうな。」って。

けれど、本来観客は観る作品を選べる立場。だからこそ、自分のお金と時間と感覚を一時委ねる場所は選びたい。流行っていることも大事だけれど、時間をかけて磨かれた技術を見抜けた時の高揚感が一番幸せだから。自分の感覚を捻じ曲げてまで見る作品はあまり好きになれないことも多いし、応援しにくい。きっと私よりも相性のいいお客さんのもとに席を用意されたほうが素敵だと思う。

役者がファンに出会いたい気持ちと同じように、観客も作品に出合いたい。

あとは、2年ほど推し活を続けていて私個人の課題がほとんど解決されていったからこそ心の余裕を持てたことと、活動資金を貯める時期になったから。

〜総括〜

というわけで個人的なお気持ちを含んだ葛藤の末、op4は観劇することを選んだ。一般発売の時期に差し掛かっていたから座席の位置に期待はしてなかったが、3階席だったのでオペラグラス確定。

東京公演の会場は銀河劇場。客席は円形で2階以上にはBox席がある。エンダース伯爵がウィリアムに指摘を受けるのはBox席。そう、実は2人の犯罪を目撃する構図はエンダース伯爵がお船の中で公開犯罪を行う構図に近いのだ。ただ、亡くなる相手の身分と生前の行いが真逆なので完全一致とはならない。

 

こんな美味しい環境と設定が一致してて、行かないわけにいかない!シリーズものは再演されないからこそ、これだけは見届けたい。

どうか、千秋楽まで走り切れますように。

昨年の振り返り&今年のやりたいこと

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

新年あけたから、今年と昨年を振り返ろう。

・2022年

2021年が大嵐の中を泳ぐ魚の気分。どうしても解決しなければいけないけれど、咲く一つ浮かばない時期。師匠との関係性に生産性がなくなったことに気が付き、体力と精神力の底におちた。

いのちの電話を使ったのもこの頃かな。希死念慮が収まらなくて。バイト以外の時間を布団の中で過ごした日々を。布団の中でうずくまるしかない自分と、元気に仕事している師匠に腹が立ってたまらなかった。メール一つに八つ当たりするほど、きっと疲れていたんだと思う。

過保護すぎる。些細なことに気付けるスキルがありながら、そのスキルを他人のために使っていると思い込んだ悲しい人。「本当に私のためになっているのか」を考えられないで与えられた愛は、真綿で絞殺されるのと同じだった。エゴでおなか一杯だった。

 

エゴを半年かけて消化していって、落ちた体力を筋トレで補って。採点バイトして食いつないで。瞬間湯沸かし器からゆっくり沸騰くらいまで落ち着いたころ、友人に師匠の件をお喋りしたら、「それはお師匠が悪い」と言ってくれた。それが正しくなかったとしても、アカデミックでは当たり前の出来事だったとしても、嬉しい言葉だった。「私が私を脅かされて黙っているほど、お地蔵さんじゃいられない。」気持ちが確かなものとなっていった。

 

気持ちとは裏腹に勉強にすぐに戻れるわけでもなくて。ひと月に一回できればいいほうだった。最低でも週5日、可能なら時間と体力の許すまで勉強と思考に没頭する世界。とてもじゃないけれど、そこまで体力が戻ってない&師匠とやりあいながら議論するのは過剰消耗。

あと、冬が一番体調が崩れやすくて予定を立てづらかったこともある。冬の自分のトリセツを作るのが最重要タスク。次にできることをやるくらいのんびりした時間が欲しかった。

休学決定したのは9月ごろだったような気がする。この頃は睡眠薬を飲んでも眠りがいまいちだったなぁ。懐かしい。薬は万能じゃないってことをこの頃やっと自覚できた。睡眠の質そのものを少し良くするのが薬。体質的にも依存性があるタイプの睡眠薬は相性が悪かった。一日オフしただけで頭が重くなるのは頭脳労働者には無理。

 

やがて、冬の始まりあたりには眠りも落ち着いてきた。けれど、冬の色が濃くなるとまた眠れなくなった。睡眠薬では解決しなかったのでお医者さんに相談してみたら、”寝る環境を変えてみるのは?”と勧められた。お近くにある『お、値段以上!』なお店で薄めのマットレスを試してみたらドンピシャリ!爆睡してしまった。こんなに違うのか!!そりゃ、みんなトゥルーなスリーパーを買いたくなるわ。今ではこの心地よい世界から出たくなくて、『布団の中から出たくない』(笑)

 

あとは、友人といった国宝展は楽しかった。今年は刀剣乱舞に生かされている。アニメ映画の花丸シリーズも、刀ステの劇場版も。もちろん、本家ゲームの『大侵攻防人作戦』のラストの言葉は、とうらぶと刀剣に関わるすべての人たちへのラブコールだった。

 

何より、チケット争奪戦になったコミケット101で推しキャラのコスプレをしてコミケにいられたのが嬉しかった。体力はあっという間に尽きてしまったけれど。いつか、刀剣乱舞が好きな方の中でできたらいいな。

・2023年

そして今、コミケで頂いたお写真が素敵すぎてアップできない。。ぐぅ。。上旬が終わるというのに。はよせんかい!私!

 

というわけで、今年の私のやりたいことを書いて終わりにしよう。

コミケのお写真をあげる(最速)

・指導教官と修論のテーマを決める

・勉強とバイトの比重を9:1にする

・季節ごとに一本だけ舞台を観に行く

・カラオケで情感込みで巧くなる

・勉強会に現地で参加して、必ず1個内容に関して質問する。

 

発達障害における不幸を考えてみた。

この記事だけは、目次をつけずに書いていこうと思う。

 

私は発達障害の当事者学生でありながら、ずっと普通の人のふりをして生きてきた。それは私なりの処世術だったし、周りの発達障害じゃない人たちからのウケはよかったほうだと思う。まじめな人に見えるから。いろんなことを知っていて、ちょっと抜けてる。それがチャームポイントみたいな。一見してなんも困っていない人。礼儀作法はできている。すごく誠実に、時に優しさで人を包む。何でも許してしまうくらい、優しすぎるくらいの人。

 

「一体これのどこが発達障害なの?」と思われても無理ないレベルだった。実際女子大に通っていた時の友人からは「まったくそうは見えないよ。」と言われてしまうくらいだった。

 

だから、この記事では私がどんな努力をしたのかを思い出しながら書いていこうと思う。ただの努力自慢に読めるなら、それはうわべだけの理解をしている証だと思う。読むコツとしては、私のことを人間ではなく、【そこそこ処理できるコンピュータ】だと思って読んでみてほしい。

 

1.女性であること

男性と女性。体の性別が原因でおきる弊害。生理や身だしなみ、礼儀作法。女性というだけで付きまとってくるものたちは発達障害の人には理解しにくい。明確なルールがあるわけじゃない分、いくつものパターンを覚えておいてその場に合わせて出す機転の良さが求められる。

「○○さん気が利くね!」なんて言われてもね、そりゃそうだとしか思えないのよ。

だってさ、機転の良さなんて、あるわけないでしょ。心を無にして失敗事例の分析と改善点の洗い出しと実行、成功事例の分析とよりよくするためのお手本となる人を探し&まねっこ。

 

これを起きている間ずっとやってますから。疲れてるとできません。こんな分析、高熱が出ているとき、鼻が詰まって頭がぼんやりしてるときにできます?【そこそこの処理ができるコンピュータ】な私にできる?

無理ゲーでしょ。

 

※生理には個人差がある。モチロン生理そのものが感覚的にしんどい人もいる。私は幸いそこまでではないけれど、4週間のうち前半2週間は論理的思考や緻密な作業が向いているし、後半2週間は感情が活発に動くからセンチメンタルだったり些細なことに気付ける。それこそ観劇が最もしやすいのはこの時期だけだったりする。これが前半に見に行くと、舞台セットの仕組みとか、役者さんの出入りとか、別のところに視点が向いて話の内容が入らない。かといって、私の仕事=数学は後半期間にやり始めると穴ぼこが開いて直感的な議論になるし、前半期だと細かいところを補うことに神経を注ぐから話が進まない。→指導教官から呆れられて放置状態。

いつでもアンテナを切り替えられるほど便利じゃない&”ほどほどにやる”ことができない。そういった不器用さがあるということ。

 

ここまでが身体の問題。それに加えて、女性だからこそ求められること。

ジェンダー学が近い話になるけれど、女性ゆえに社会から求められることってあると思う。お化粧を暗黙的に求めること、おしゃれに気を使うこと。そこそこできることが求められて、あーうざい。うざいったらありゃしない。事前通告なしである日突然やってくる。

わたしはあくまで【そこそこの処理ができるコンピュータ】なのよ。0と1、オンとオフで表せる世界なら喜んでやるけれどね、「ややオフよりで作業」なんて知らんのよ。0と1を重ね合わせてできているんだから、部屋の電気をつけるときにボタン押す力を絶妙に弱める、そんなことしないでしょ。電気がつけばそれでいい。

 

だからこそ、ずっとずっと気分は不完全燃焼のまま。やり切ってしまうと、翌日は休みたいくらい身も心も使い切るからほんと苦手。

 

2.勉強ができるかどうか

発達障害の人は学歴が良いことが多い。これは半分正解で、半分不正解。

正解なのは、「勉強さえできているなら、大人はこちらにいい印象を持って接する」から。人とのかかわりがうまくいってなくても、「あいつは勉強できるから」枠に入ってしまえばクラスで浮いても生きていけるの。特に男子は愛嬌なんてなくても「真面目キャラ」でやっていけるから生き残りやすい。だからこそ、社会人になって浮きやすいリスクがある。【そこそこの処理ができるコンピュータ】には最も得意な仕事だ。

 

不正解なのは、「発達障害といえど、勉強できない人もいる」から。勉強にスペックを集中させるタイプじゃないから、そもそも他人から評価されにくい。スポーツができるタイプはストイックにできちゃう分評価されやすい。

勉強についていけなくて、言われたことをやるだけで手いっぱいの場合は本当にしんどい。応用的なことを理解するのに時間かかるし、そもそも概念的なことや、常識が理解できない場合は「なんでこんなこともできないの」状態。さすがにこのレベルだと子供のころから支援が必要。でも運悪く支援から外れると勉強嫌いが加速する。そうやって子供のころから社会に見放されている気分を味わって生きている。

 

最悪のケースは、社会の中で自分の居場所がない&猜疑心マックスで心労過多。引きこもってるほうがよっぽど幸せな状態。だって、人を信じられる経験ある?

 

3.家族は自分を受け入れているか?

サザエさんの家、ちびまる子ちゃんの家。どれも不満はあれどいいこともある家だ。あなたは、「こんな家、現実にはあるはずがない!」派?それとも、「うちの家でもあるある!」派?

「うちの家でもあるある!」派の場合、家族って暖かいイメージがあって。なにかあっても、家族に会って話をして、一緒の時間を過ごせば、悲しいことがっても乗り越えられるらしい。ちゃんと自分を受け入れてくれる、世界一安全な場所。

 

ということを本で読んだ。こちらの派閥の人だと言いたいことはちゃんと言うし、建設的に解決してるから不満もため込みにくいらしい。

 

いいなぁ。私は一度も体験したことない。

「こんな家、現実にはあるはずがない!」派の場合、家族って冷たくて緊張が走ってる。学校一怖い先生に怒られるときみたいな状態がデフォルト。

あったかい家族?いくら払ったら買えるんだろうね。そんなの、どんなに欲しくても手に入らなかったよ。物語の世界にしかなくて、ずっとそっちを見ていたいくらいだった。家にいても安らげない。

これのどこがwarm family?*1

家族が家族として機能していない「機能不全家族」や虐待まがいの劣悪な環境、親せきが遠方で頼れない、ヤングケアラーなど。このあたりに引っかかると生きていくのがもっとしんどい。

家族に発達障害の人がいるだけでも心労過多になる。親が発達障害で、自分はそこまでじゃなかったとしても、親がコントロールできないほど障害に振り回されていたり、ストレスのはけ口になっているなら、家に帰るのも嫌だろうな。特に女性は母親とのかかわりが近いことが多いから、気づくと母親の愚痴聞きが日常化しているなんてこともある。さっさと趣味に逃げなさい。そのほうが幸せよ。自立した関係性

私はまさにこのパターンで、小学生のころから成人した今になっても母親の日常の出来事からちょっとした愚痴まで全部聞かされる。母親本人の学習が進まないのだ。父親も。聞きたいと一言も言ってないのに一から十まで全部聞かされる身になれ。もちろん断ってもいいし、それが聞く側にできる自衛方法だ。

話し手の自衛方法は自分の話を聞いてくれる人がどんな表情してるか見てしゃべれ。目の前にいる人があまりにつまらなさそうスマホまでいじっているならなおのことヤメレ。

 

そそっかしくても尊敬される女性のロールモデルは身近にない。伝記で出会えれば御の字。

頭が良くても空気が読めないだけで針の筵。

ただ私でいるだけなのに、両親の望む完璧な子にはなれなくて。

勉強ができても褒められることはなく、他人を助け続けても認められることはなく。むしろ当たり前な空気を醸し出され。

 

「ぶっちゃけ、家族より赤の他人のほうが優しくね?」と気がつく頃には成人してた。

 

さあ、問おう。

いったいこれのどこが生きやすい?優遇されている?

「女っていいよな、楽で。」

「障害持ちってだけで他人から優しくされて、いい身分だな」

って心の底で思ってないかしら。

 

「可哀想だけれど、どう助けていいかわからない」ならまだ救いがある。共生する方法を生み出せばいい。それが教育の名のもとに平等に享受できればいいんだから。ニューノーマルとして、日々常識は移り変わる。それでいい。

けれど、傷ついた当事者に碌に謝罪もなく、「これから共生して生きていきましょう」

なんてニコニコとして言われた日には、どんな気持ちになると思うかしら。

「てめえら勉強が足りてねえんだよ、こっちから願い下げだ」

と思われても仕方ないんじゃない?かつて無自覚に自分が傷つけたかもしれない相手に向かって、そんなことを言われて黙ってるやつはいないでしょ。

 

こんな感情を持って生きてる、ただの人間なんだけれどね。

あなたの隣にいるかもしれない人。

私って空気かしらね。いいや、実在する人間だ。

私は天才かな?いいえ、ただの生きた人間よ。

 

なら、動かなくてはね。ちょっとバリエーションのある人間で、敬意をもって接する対象であって侮蔑されていい存在じゃないんだけど。師匠。

 

追記2023/01/09

ちょっとタイトルが大きいけれど、当事者が抱えている苦しみってほかにもある。ここまで読んでくれた全ての人に敬意と感謝を。

あと、師匠は私にゆかりある人を指しているので、きっと私とリアルのお知り合いだったらこの記事最後まで読んでほしいと伝えてくれると助かる。

 

私が障害を語らないのは、障害の全貌が見えないうちから真偽不明なことを言いたくなかったのと、言って理解できそうにない人には言わないポリシーだから。自分の理想の世界に閉じこもっている人に、私のようなイレギュラーは怖く見えると思うから。あなたの理想のワルツに付き合って踊るのはもう飽きたの。それに踊り手はいつだって組む相手を変えられる、それが師匠の住む世界でしょう?

 

ちゃんと礼儀をもって質問していたなら。私は答える。それが私の誠意。

自分のイメージが正しいと思い込んで、本人の目の前で偏見をぶちまけて。それに対して謝罪の言葉もない。

「ただの勘違いでした~♪てへっ!」で済むわけないでしょ。侮辱もたいがいにしてくれ。

 

当事者としては、社会側が寛容になってくれることを願うよね。でもね、その恩恵にあやかれるときは、あなた以外の当事者が、無数の出来事に傷ついた後でできた恩恵だと思う。しかもその恩恵、生きているときに受けられるかわからないよ?死後かもよ?そんなばからしいことの片棒を担ぐ気なの?

だったら、自分のことを自分の力で、欲を言えばあなたを大切にしてくれる、尊重してくれる人の力を借りて

”主張してみなよ。どうしてほしいのか。どうされるのが嬉しいのか。

感情的にならず、一つ一つ冷静に。感情はあっていいから込めすぎずに。

最初から完璧になんてならない。そんな自分に嫌気がさしてるなら大正解。より良いものにする、よい心がけがある証だから。ゆっくりでいい。一年かかっていい。ひと月で出来たらすごすぎるから。

 

そうやって、伝えることを続けていこう。

データを貯めるんじゃ。「どうされたいか」のデータを。

そうすれば、社会のほうが傾向と対策をとれるでしょ。歩み寄れるきっかけを生み出せる。

それと同時に、当事者会がもっと精力的に活動できるといいのだけれど。お顔を出したくなければ仮面でもつけちゃえ。「適応」の文字でも添えたらいいんじゃない?

 

と、長くなりそうなのでここまで。

*1:ドラマ花より男子TOJ(=日本一の女子高生を決める大会)の課題が「恵まれない子供たちに必要なもの」を英語でスピーチすることだった。つくしはこのスピーチで拙いながらも暖かな家族が必要だと伝える。まあ、つくしちゃんのような家は確かにwarm familyそのものでしょうね。

アナ伝vol.3 ジェヴォーダンの怪物 感想

2022年10月21日 昼公演の感想

がっつりネタバレしてますので、これから観劇予定の方は、観劇後の閲覧をおすすめします。

 

 

目次

概要

場所:こくみん共済coopホール/スペース・ゼロ 

日時:2022年10月20日㈭~2022年10月23日㈰

配役:

シン:櫻井圭登

レッドフード・グリム:山﨑晶吾

リトルゴーツ・グリム:大藪丘

ダーウィン:田淵累生(淵は難しいほうのふちです)

イソップ:大崎捺希

ツンドラ:星元裕月

二ホン:三好大貴(わが推し!)

ジャン・シャストル:前田隆太郎

メキシコ:辻凌志朗

レオ・ヘルシング:小坂涼太郎

ルー=ガルー:寿里

 

感想

全体:1幕に泣き、2幕に笑って、アフタートークの裏話が2度美味しい。

昼夜全通して観劇したら、話の内容への理解が深まってより面白いタイプの話。私は都合上、昼公演しか行けないが、諸々都合のつく人は行ってみるといいかもしれない。

あと一般発売席、当日引換券の席は平日の昼ということもあり割と後方の席はガラガラだった。

ぜひとも満席の客席を見せてあげたい。推しに。

 

1幕:

悲伝並みに、TRUMPシリーズ並みにしんどくねえか、これ。各々の思いに誠実に生きられた点が唯一の救いでは…。TRUMPシリーズ見たことある方ならご理解いただけると思うのだが、閉鎖された村社会で村人がドンドン消えていく話に覚えがありすぎる*1

何より悲しいのは、彼らが人狼として生きる道が少ないということ。生涯の中で何度も「自分が人間であったなら」という哀しさと向き合わなくてはならない。そして、彼ららしく生きることを是としない社会に立ち向かい、うまく躱しながら生きるが故か噓をつくことに慣れてしまったシンも、その生き方を他者から(特に人間などの他種族から)肯定されることはなく死んでいく。まるで、ネブラ村の住人のようだ。。

「イソップてめえ!」となる人も出てきそうな展開なだけに、2回目に見に行ったらそれぞれのキャラクターに感情移入して見てしまいそうになる。。公式推奨の見方はまさにそれだが(1日通しで観劇できる券があったくらいなので)、個人的には何度も見られるだけの軍資金がなかった。。。不覚。。

ツンドラ、、、

傷心がすぎる。彼女がもともと好きだった人ってルー様かシンでは?

二ホン、お前さん振るんかい。自分の理由で。でも、まあ、もともと恋心を忘れるために二ホンと婚約したから仕方ないとはいえ、タイミングがしんどい。ルー様との両片思いが成立したのは嬉しいが最後、ロンギヌスの槍で貫かれて死ぬうえに消滅してしまうのは悲しい。二人だけが天国へ行ける。二ホンは、ひとりで地獄を歩いてるのだろうか。ツンドラが来ないようにと、きっと刀を携えて。

 

レッドフード、欲望にかられないように自制する彼が、最後にその考えを捨ててシンに立ち向かうのは、一皮むけた彼が歩んだ最初で最後の一歩。とても清々しい。歩みが続かなかったのは悲しいことだが。

逸話性

登場人物たちの名前が童話に関連してたりする。グリム兄弟はグリム童話、イソップはイソップ童話ツンドラスウェーデン出身だから北欧神話かな?二ホンはもともと侍なので日本神話かな?メキシコは土着信仰の神様がいたしなぁ。ダーウィンは美しさに対しての執着がある。心のありどころ、拠りどころが定まっているキャラクターたち。過去に囚われたり執着したりしやすいキャラクターが多かった。

人間サイドならジャン・シャストルには出世欲や野望、レオ・ヘルシングには知的好奇心と探求心に従って生きている。自分の核となるものがちゃんとある。

そしてシン、彼は唯一逸話がない。アメリカは登場人物たちのルーツのある国の中で一番新しい国。一番人間臭く、それでいて狡猾。多分一番縛られることを嫌う。だからこそ、嘘をついてでも自分の道を進む強さを持つ。

 

 

2幕:

ペンライトで応援するのがはじめてだったので、とかく振っていた。時々視線が合うキャストさんがいてとても驚いた。「見られているんだなぁ」と感じることが今までなかったからすごく新鮮で、もう少しおしゃれに気を使ってもいいかもしれないと思ってしまった。(寝坊してアイラインを引くのが関の山だった)

キャストさんごとに持ち味が違うから見ていて楽しい。ダンスの切れがある人、ふり一つ一つの完成度が高い人、キャラクター性が反映されている人と様々。

ひとまずグループカラーのライトで振ったんだけれども、グループカラーと同じカラー担当のキャラクターがいて、ファンサを振られるのは嬉しい半分戸惑った。。ファンサって受けるとゲル化するって思っていたが、危うくゲル化するところだった。基本的に推しと目が合うことがレアだから多分がっつり見られたらゲル化する。最前列とかじゃなくてホント良かった。

あとイソップ君、可愛い系だと思っていたのが1幕で小悪魔なことがみんなにばれている関係で、日替わりの手押し相撲のときにするシャストルへの耳打ちが怖めな発言になっているところがあざといぞ。。中の役者さんは刀ステで知っているが故にぎゃっぷで「ひぃっ!」っとなってしまうなぁ。

 

Twitterでの事前情報をあまり見ないようにしていたから、ペンライトに工夫している人がいて驚いた。ペンライトにテープを貼って文字が見やすくなっているもの、うちわに文字を書き、うちわをペンライトで照らして応援している人もいた(ここはルーさんによるフォローが助かった)ペンライトを小刻みに振っているとファンサがもらいやすいらしい。知らなかった。とにかく平静を保ちたかった。ただでさえ日替わりで笑いが止まらないから、いろいろ感情の出力が大きくなってるんよ、ほんと。日替わりのおかげで1幕で高まった緊張がほぐれ、楽しい時間に変化する。

推しについての感想

アフタートーク、一生懸命場を回してて、三ツ星のときののんびり屋はどこへやら。しっかりお兄様してた。観客にほぼ見えない仲間の顔の話、細かい芝居を続ける役者さんたちの話、それはお芝居に一生懸命で視野の広い推しゆえの視点。歌って踊って殺陣して芝居して。マチソワ間にちゃんと休憩とってね。。。

2幕の歌、やっぱ低音がよく響く。マイクに乗ってて、ツンドラへの愛しさが爆発していたのが素敵でした。ほかのグループと一緒にパフォーマンスしているときでもツンドラから離れない。ツンドラのことどんだけ好きなんだ。。

この公演での日替わりエピソード?で、まさかの伯方の塩ネタを持ってくるとは。。しかもキャラクターにも関わりある「メキシコ」をさりげなく出すわが推しの賢さよ。。

ツンドラも一度下手に捌けて、「は、か、た、のっ、し、お~♪」って歌いながらステージに来るの可愛かった。。

そのあと、ツンドラに告白?プロポーズ?していたのもえらいが、本人を前にして

言えないいじらしい姿、ナイスでした。アドリブで笑いそうになると後方に全力で捌けるのはご愛嬌。次回からは機構の上まで捌けてもいいと思う。けがのない範囲で。

ツンドラからの「大好き」を受けて、照れながら捌けてるのも素敵。ルーさん斬りつけちゃうのはよろしくないが。可愛い。1幕が悲しかったもんね、それくらいの愛情が来ると色々大変だよな、、、オタクはいつもこんな状態ですが毎回生還しているので二ホンも生き延びられたらと思ってしまうのだ。2幕中元気だからこそ、1幕がより重たく残る。。

1幕、武士として生きた記憶があるからこそ残せるものがあり、生きた時間を充実させられている。この辺りは『雨降る正午、風吹けば』に通じるものがあってこの手の作品には目がないんだよなと改めて実感。

割と最初にいなくなってしまう登場人物だし、黒幕にがっつり利用されてしまうキャラクターではあったけれど、誇りをもって生きる姿はほかのキャラクターに影響を与えたと信じてる。”兼ね役で出てこないかな”と気にして見ていたけれど、配置や転換までキャストがやっている(アンサンブルに当たる人がいない)から難しいか。。兼ね役含めて演じるのが好きな推しなので、出てきてくれるかという下心でした。

お衣装もかなり細かく作られてて、個人的にはロングウィッグの推しを見るのは刀ステぶりだったから嬉しかった。腰元の布が戦国の戦いを表した屏風絵のデザインになっていて、彼のルーツを伺い知ることができる。(もう少し加筆したい)

ベート(怪物)化した時のメイクが口元まっかっかでかなり新鮮でした。愛しい人と共にいる未来ではなく、愛しい人が幸せであることを願うのはまさにもののふそのものでした。『他者の幸せを願える、他者の幸せのために動ける』のは彼の強み。

 

彼の報われる日が訪れることを願いたい。。。

 

強いて言うなら…

会場の大きさは、できれば大きいほうが嬉しい。こと今回は殺陣をしているメインシーンとカフェでお茶しているシーンが同時展開されていて、下手後方から見ると距離が詰まって危なっかしく見えた。あと上手側奥のほうにキャストさんがいくとマイクが不調になりやすかった。ワンシーンではあったが、ノイズがもったいなく感じられた。音響設備が潤沢だからこそ、もったいない。

 

あとは、遅刻者が目立つ。特に後方ブロックは段差のつく席で、誰かが通路を通るだけで少し揺れるのだ。ステージ上から出る振動はともかく、客席上で揺れが来ると地震かと身構えてしまう。あえて段差ができるように席が組まれていた分、振動が伝わりやすい構造だったのが悔やまれる。

 

おわりに

後日更新予定。書き足りない!!

 

*1:SPECTER。三好さんは初演再演ともに生き残る役だったが、今回は。。。

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今週のお題「カバンの中身」

 

カバンの中身、それは個人のこだわりと生活が垣間見えるモノ。誰もが持ちうる、秘密の一端である。

休学中の大学生の持ち物で、参考になればいいなぁ。

目次

 

~マスト~

・携帯電話

iPhoneではApplepayと紐づけられるカードがある。いつかはPASMOも紐づけたい。持っていくのを忘れることほど、時間を浪費することはないからだ。最近の大学生協ではクレジットカードのタッチ決済もできるし、自動販売機のほとんどがQuickpayなどの電子決済に対応している。もはや現金もクレジットカード持ち歩かなくてもいいのである。

・財布

それでも忘れてはいけないのが財布。なぜなら、学食と家系ラーメンは現金支払いのままだからである。あと、各種証明書もクレジット決済できないのだ。役所と一緒と考えれば納得できるが、親元を離れた学生が1通数千円はかかる証明書をキャッシュレス決済している絵面は考えにくい。

 

学生証は大事。失くすとすべての特権を失う。学割は偉大。特に焼き肉屋!

 

・鍵

これがないと家から出られない。にもかかわらずモノが小さいために無くしやすい。

失くしやすさを解消するために、小物入れに連結させている。小物入れにはリップクリームと口紅2本、無印の薄型カードケースが入っている。

 

~ほぼ持ち歩くもの~

・口紅とリップクリーム

ずぼらな性格なもので、メイクというものが本当に面倒。そんな自分が続けやすく、モノを失くしにくい方法が、好みの色2本とリップクリームを持つことだった。印象を変えたいときに変えやすいように。

・化粧道具inメガネケース

とはいえ、本格的にメイクしたいときや、メイクの手直しがしたいときもある。そのため、アイブロウ、アイシャドウ、アイライナー、チークは欠かせない。本当はあぶら取り紙とか崩れたファンデーションをどうにかするグッズも入れたいが、いいもの探し中。

なお、本来の家主であるメガネは常時つけっぱなし(留守)か、まれにケースにしまう。コンタクトの快適さに勝てない時があるのだ、推し活とか。

・A6横型ノート、セプトクルール。

日記に代わりに使うこともあるが、その時に浮かんだ言葉や考えを書き留めておきたいときに便利。横型はもともと在宅ワーカーのためのメモ帳だったが、大きなメモ帳を使い続けるのは気が引ける、はじめての日記帳としてもおすすめ。

ただし、横型ノートに横書きすると、リングに当たるのが難点。次回からは、A6縦型ノートを横向きにして使おうと計画中。

・ワイヤレスイヤホン、イヤホン

聴覚過敏(音に敏感なためにストレスを受けやすく疲労しやすい体質)を避けるために必要なもの。耳栓では遮りすぎてしまう音もノイズキャンセリングを通せば聞くことができる。

聞こえすぎてたくさんの情報が耳に入ってしまう私が、普通の耳になるために必要なアイテム。

 

~あれば便利~

・カードたち

ポイントカードはほとんどアプリケーションと紐づけられるので無問題。ただし、例外がある。地域図書館の貸し出しカードである。

大学生にとっての3種の神器、それは図書館、パソコン、Wi-Fi

レポート作成から普段の勉強、時に他分野への視察兼気分転換で読む本に至るまですべて網羅している場所、図書館。

それでいて、閲覧席での勉強は頑張っているほかの学生がいたり大人も仕事をしている。こういった環境は気分を変えたり、モチベーションの維持に欠かせない。なにより、またキャンパスが閉鎖されても居場所が増える。個人的には、大学図書館にある程のレアな専門書が地域図書館にあると、気分が上がる。

 

・目薬、コンタクトレンズなどの衛生用品。

推し活から日常生活に至るまで、どこでも活躍できるアイテムたち。元気に安定したコンディションを維持するための縁の下の力持ち。

・サングラス

ブルーライトカットのメガネを使っているため、普段は使わない。けれど、コンタクトレンズを使っている日にはマストアイテム。

ブルーライトをカットするだけで、頭痛が半減。そして、コンタクトレンズで開けた視界には沢山の情報が入る。メガネの時はフレームの外側がぼやけるために受け取らない情報も、受け取ってしまうのを避けたい。

 

視覚過敏(目からの受ける情報や刺激で体調を崩す体質のこと)対策の一つ。

GUのブルーライトカット仕様サングラスで、1000円ほど。

視覚過敏がもっときつい方はこちらがいいかもしれない。

kabin.life

 

・エコバックのシュパッと!

ちょっとした買い物の時、便利。コンビニごはんから某もちもちなマスコット9個入りボックスまで入るサイズと、ガチの買い出しまで担当できるサイズの2種類。

 

~else~

・自転車の鍵

隣町まで行くのに欠かせない足。お金ないとき、体力づくりの味方。

特に病気休学していると家にいることが多いので必然と体力が落ちやすい。

気分転換にもなる。

iPad

ノートの作成からイベント周回、動画配信サービスまでなんでもござれ。

唯一の欠点は、600mlペットボトル並みの重さがあること。夏場のiPadはウエイトトレーニング並みにきつい。斜め掛けバックでは肩がやられる。トートバッグが関の山。

ノートPCよりマシな重さではあるが、身体にはくるものがあるため、日常使いは難しい。毎年学割が一番良く効く2月から3月に買うのがおすすめ。

 

この辺で、おしまい。

ツイステ6章 感想 ※ネタバレあり

ネタバレと想像を多分に含みます。

目次

 

~雑感~

6章はイグニハイト寮の物語でした。

イデア君もオルト君もよく生きてたなぁと言いたくなる。そりゃ性格がツイストするよ。オルト君がもともと人間ではないことは、製造日公開の時点で予想できていたけれどここまで深堀りされるとオルト君含めて好きになっちゃう!

 

最後の大団円はあってよかった、本当に。ないと困る。見てる側も報われる話でよかった。

攻略に手間取ってしまったのが痛手だった。66話と67話に1季節分くらい持っていかれてしまったけれども。育成が間に合わないうえに当時育ててたSSRキャラクターを一つのタワーに集約してしまい攻略が難航したのは焦った。一度パーティーを組みなおして再度トライするも組み方ミスってSSRが5人中二人しかいないタワーができた(リドル&アズール組ほんとごめん)。

結局、手持ちSR勢とデュオ魔法持ちのレベルを60以上に引き上げることで攻略できた。日頃の積み重ねが大事なのは、どのゲームでも変わらないのだと改めて理解する。普段は審神者業(刀剣乱舞)に勤しんでいるために、イベントをパスすることの重さが身に染みているのだ。あれはイベントをパスすると後々苦しくなる、うまく作られているゲームである。

以下想像と考察もどき。

 

~地獄其の1~

イデアにとって、学校生活は「夢のような日々」なんでしょう。イデア君からすれば、生涯のほとんどを嘆きの島から出られない上に、嘆きの島に関わった人間の記憶は消去される。世界平和に貢献するといえば聞こえはいいが、嘆きの島で飼い殺されている上に、嘆きの島の外で暮らす人たちには飼い殺されている事情が理解されることもない。加えて、シュラウド家は生まれついて負のエネルギーを蓄積しやすい体質。それはイデア君にも当てはまる。周りにいる研究員さんは感情よりは事実を見ることに長けている人が多い。以上から、楽観的な思考をイデア君が習得する機会が外界の遮断と合わさって絶望的に、ない。

つまり、イデア君のマイナス思考を止める人がほぼいない。地獄其の1。

 

~地獄其の2~

どこまでいっても自分を救ってくれる人がいない。なまじ大抵のことはイデア君だけでもできるし、誰かを必要とする場面があってもオルト君がいればほぼ解決する。データ収集においてオルト君の右に出るものはいないから、イデア君にとっては唯一無二の存在だ。

また、生活において物資が不足することはない。なにかあれば、ツイステ世界におけるネット決済やオンライン上の交流で済んでしまう。けれど、生身の人間同士がかかわることで得られる経験は、希薄になってしまう。地獄其の2。

生身の人間同士で心が満たされる経験は、得難かったのかもしれない。

イデア君の優秀さと他者との交流から生まれる経験の希薄さの両方が、他者から遠巻きにされる悲しみを生んでいたのも重なった不幸の一つだろう。

 

~不変性~

オルトとイデアの距離感も近いからこそ、互いが悪いことをしていても止められない。

オルトはあくまでも「正解のある問い」には強い。だが、正解のない問いを考えるのは二人では足りない。彼らの両親が二人にかかわっている描写が少ないのは、仕事が忙しかったからだろうか。けれどこれでは感情が育つ種が少なすぎませんかね、特にイデア。生き残った彼へのフォローがあったのだろうかと思ってしまう。

このあたりが、二人を取り巻いていたのかもしれない。

 

~打開策~

二人と異なる経験を持っている上に、二人の置かれた状況を理解できる人の存在が不可欠だ。それこそ、状況を冷静に理解し静観するリリアみたいなタイプか、二人を引っ掻き回すくらいの度胸とエネルギーがあるタイプでないと、この二人に本気で関わるのはしんどいのではないだろうか。それこそ夢を叶えんとするヴィルのようなタイプでない限りは、中途半端にかかわると余計こじれることが想像に難くない。

 

~彼らを取り巻くつわものたち~

今までやってきた努力をわずか一瞬で投げ捨てる判断をするヴィルは、遅れてやってきた青春してるんだろうなぁ。徹底的なまでに己を磨き上げ、セーブしている人間にしかできない技。人生の中で一度使えればいいくらいのものをここで使うとは、驚いた。激変した直後は全くヴィルだと気づけなくて、「誰だこのじいさん?」となってしまった、不覚。この技は、大人になってしまった私には眩しい。けれど、自分の行動を顧みて落ち込み泣くのはリアリティがあって好き。一度失わないと気づけない大切なものも描かれてる。ヴィルは若さと自身の努力の結晶を、イデアは大切な存在と自由を。

おじいちゃんになったヴィルにマレウスが祝福を授ける展開は、5章と同じ。だが、リリアの引っ付き虫になってたマレウスが、自らの意志で人と関わろうとしてるのは大きな一歩だった。まだ公的な範囲を超えていないけれど、いずれは同級生同士で与えあったり助け合ったりできるといい。閉鎖的な妖精の国に良い風が吹くと良いな。

 

そして、おうちパワーも含めて兄弟の願いは叶う。家の力って、使いようだよなほんと。家の力とはさみは使いようだと思う。

 

~心の隙間~

『「またね」と言える相手がいる』

『友達を家に招いてゲームができる』

これらは本当に些細なことかもしれない。けれど、前者は【継続できる関係性のある人のいる心強さ】、後者は【自分自身が安心できる環境を大切な人たちと共有できる安らぎ】を手に入れるきっかけになっているのではないだろうか。

私も、家に人を呼ぶことができないタイプだった。家族の一人が、他人を家に上げることをとかく嫌ったからだ。ほかの家ではどこまで家の中が雑然としていても、整頓されていても家族の温かさ、人の優しさに触れることができた。けれど、私の家には温かさより寂しさがはびこっていた。風通しの悪い部屋に埃が溜まり、湿気がこもりカビが生えるような、そんな心地が常に家にあった。何も変わらない虚しさをどこかで感じていながら、家の外にある幸せが壊れないようにと願っていた。

イデア君の場合は自分の部屋が居場所のようだった。オルト君がいることが一番の安心だったのだろう。けれど、部屋の外は嘆きの島でも賢者の島でも変わらず吹雪の中を歩いている気分だったのではないかと推測する。

 

~総論と余談~

私には六章を通じて

イデア自身が同世代の人と一緒にいる経験を積める”

”嘆きの島で完結していたイデアの視界が、賢者の島での生活で大きく広がる”

ことにより、

”普通”を夢見ていた青年が、自身の命運を賭して”普通”を叶えに行く。

物語に見えた。

ところで、ミッキーが見かけた銀色の髪と緑の目の持ち主、、セべクとシルバーかな?

リリアは長い寿命が終わりそうなのかな?ディアソムニアから目が離せない。

 

余談だが、一オタクとしてオルト君のセリフ「兄さんはこの世界を愛しすぎてるよ」がたまらない。オタクがコンテンツに生かされていることがよくわかっているセリフ。製作陣の、ファン心理を突く表現にしびれたのであった。

舞台刀剣乱舞 綺伝 いくさ世の仇花 観劇レポート 刀剣男士編 後編

観劇日 3/27夜公演 (演出変更回)

 

キャスト感想 刀剣男士編 後編

前編(歌仙兼定・にっかり青江・山姥切長義・亀甲貞宗)はこちら↓

rin-mikage.hatenablog.com

 

よっしゃ、始めるぜ!*1

 

獅子王役 伊崎龍次郎さん

念願の、明るい属性!!慶長熊本組の太陽!!飯屋のシーンを楽しみに待ってました!!科白劇の形式もお顔がしっかり見えて素敵だけれど、現地の信徒もいる飯屋はやっぱり格別でした。その分、獅子王君のじっちゃん武勇伝の違和感と篭手切江のあわあわ感が目立った。でも、周りの目が気にならなくなる位話せちゃうなんて、じっちゃん(源頼政)大好きなんだなぁ。あと、小烏丸様の真似が上手い。科白劇のときも「本人だよね!?」と思ってたが、より精度が上がって、小烏丸さん乗り移ってね??となるくらいでした。

科白劇と被るシーンは会場内でも笑いがこみあげてきていて、誰も隠してないw

 

あと、やっぱり忘れられないのが鵺。鵺との共闘が見られて審神者は大変幸せです。ファイティングポーズがかぁあいい。。今回はご飯を食べないことにしたのかな??

平安からある刀だからこその感性。アンテナの鋭敏さ。「人の心も鵺みたいだな」って、モノとしての視点がぶれなくて、怖さもある。でも、その明るさとぶれなさが部隊の光でした。ありがとう。

個人的には片足だけ足首出てるので、ケアが大変だったのではないかと気になりました。

 

篭手切江役 大見拓土さん

みんなのアイドル、江の一振り。日替わりお疲れ様でした。綺伝唯一の日替わり。科白劇の時からずっと担当されていて。それが終わってしまうのは寂しいです。

前作无伝に日替わり王子がいたために、今回はあっさりして見えるけれども。作るのだって簡単じゃないし、ミュには江が集結しているし。寂しさもあったのではないでしょうか。殺陣にすら現れるダンスの動き、歌仙や忠興様を想ったりするやさしさはまさに篭手切江でした。

 

獅子王のじっちゃん武勇伝に「まぁまぁ、落ち着いて」と聞こえてきそうな対応も素敵でした。苦労人属性でありながら、真っすぐ前を見る姿が素敵でした。光の一振り。

 

 

古今伝授の太刀役 塚本凌生さん

アシンメトリーのスカートのひらひら度合いがもう、傾国です。素敵でした。どうもありがとう。

歌仙の保護者の目線でもありながら、地蔵に対して非情になりきれないところが人間の心を映したようでした。存在が和歌そのもの。

『大和歌は人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける』

まさにそんな感じ。ふわふわと見守るようで、獅子王とはまた違う立ち位置で。

みんなを見守る、歌仙と地蔵の保護者でした。

科白劇の時にあった、政府に帰る前のソロシーンがなくなっていたのは寂しいけれど、綺伝には、無いだけの理由がありそうでした。

 

地蔵行平役 星元裕月さん

今回、イメージ変化があったので驚きました。科白劇の時には強さが際立っていたのが、今回は人に寄りそうやさしさと儚さと脆さを感じました。

次回は歴史上の人物キャストの感想がかけたらいいな。

*1:獅子王の出陣台詞